妻の「まあ!」という声とともにラブラドールレトリーバーの「マックス」が台所から飛び出しました。カウンターの端のトレーにあったラムの骨付き肉が無くなっています。マックスはベッドの下に隠れましたが、頭と上半身だけしか入りません。頭隠して尻隠さず、とはこのことです。
私は「ああ、マックス、その罪は身に及ぶことを知りなさい」とつぶやきました。これはある2部族に対するモーセの警告です(口語訳参照)。彼は「…、今や、あなたがたは主に対して罪を犯したのだ。あなたがたの罪の罰があることを思い知りなさい」(民32:23)と語りました。
罪にいざなわれると一瞬は、よい気分かもしれません。しかし、神から離されるという究極の痛みを味わうのです。モーセは、神の目はごまかせないことを民に確認させました。「神の目には、すべてが裸であり、さらけ出されています。私たちはこの神に対して弁明をするのです」(ヘブ4:13)と聖書が語るとおりです。
聖なる神はすべてをご覧になりますが、私たちが罪を告白し、悔いて、改め、神と正しい道を歩むように優しく導いてくださいます(Ⅰヨハ1:9)。どうか今日、神を愛し、神に従っていけますように。
すべてをご存知の上で、なおも愛してくださる神。その事実は罪に背を向ける動機になりますか。神の愛に今日、どんな具体的な形で応答しますか。
神が「ご覧になる方」(創16:13)であることを感謝します。善いも悪いも知ってなお、私を救うために御子を世に下されました。御名を賛美します。心からいつも従えるように助けてください。