結婚指輪が見当たらず、動揺して泣きながら探しました。家中の隅から隅まで1時間ほど探し回った後、夫が言いました。「残念だけど、新しいものを買おう。」私は「ありがとう。でも、あれは特別なかけがえのない物だから」と答えて、祈りながら探しつづけました。すると、少し前に着たセーターのポケットから、大切な指輪が出てきました。「神よ、感謝します!」と夫婦で喜んで指にはめると、銀貨を失くした女性の話が心に浮かびました(ルカ15:8-10)。

失った銀貨を熱心に探した女性のように、私もなくしたものの本当の価値を知っていました。貴金属をなくし、血相を変えて探すことは、何も悪くはありません。イエスは、このたとえ話を、神の被造物なるすべての人を救いたいという熱い思いを表すために語られました。ひとりの罪人が悔い改めるなら、天国では祝宴が張られるのです。

探し物のために熱心に祈るように、人のためにも祈る人になれるなら、何という祝福でしょう。神を無視していた人が悔い改め、神を信じて従う決心をしたとき、それをともに祝えるのは、何という特権でしょう。神は私たちを、あきらめずに探し出す価値のある人と言ってくださいます。イエスを信じるなら、このお方に愛される喜びを味わいます。