コリンは妻とインテリア用品店で絵を探していましたが、気になる物があったので、妻を呼びました。それは右側に「グレイス」という文字が入った陶器の置物でしたが、反対側には2本のひび割れがありました。妻のジョーダンは、壊れていると言って別の物を探そうとしましたが、コリンは「いいんだ」と止めました。「僕たちは壊れている、だから恵みが訪れるんだ」と言い、ふたりはそれを買うことにしました。レジに持っていくと店員が「あらまあ!壊れているわ」と声を上げました。ジョーダンは静かに「ええ、分かっているわ。私たちもよ」と応じました。
壊れた人とは、どんな人でしょう。ある人は、どんなに頑張っても、自分で自分を良くする努力は報われず、むしろ悪化させると理解した人だと定義しました。つまり、神と神の介入が自分の人生に必要だという認識を持った人です。
使徒パウロは、壊れた人とは「自分の罪過と罪との中に死んでいた者」と表現しています(エペ2:1)。「あわれみ豊かな神は、私たちを愛してくださったその大きな愛のゆえに、…生かし、――あなたがたが救われたのは、ただ恵みによるのです――」(4-5節)と語ります。このみことばは、赦され、癒やされたいという人に対する応答です。
恵みの神は、壊れた人を癒やしたいと願っておられます。
自分は壊れていて神の癒やしが必要だと気付いたきっかけは何ですか。今日、どんなふうに神の必要を感じていますか。