タイ人のサッカー少年12人とコーチは、楽しい冒険になると思って迷路のような洞窟を降りていきました。2018年6月某日の午後でした。しかし、水位が急に上昇して、洞窟の奥へ奥へと追い込まれ、救助されて脱出するまでに2週間半を要しました。潜水チームは増水に阻まれながらも救助を決行し、少年たちは小さな岩棚に座り、懐中電灯を照らしていました。彼らは暗闇の中で、何時間も、希望の光が見えることを願っていました。

預言者イザヤは、暴虐と強欲にまみれた陰気な苦悩の闇について語っています(イザ8:22)。希望の灯は今にも闇に飲まれて消え、廃墟だけが残ろうとしています。しかし、イザヤは、そのようには終わらない、神はあわれみ深いので「苦しみのあった所に、やみがなくなる」(9:1)と断言しました。神が闇の廃墟に御民を置き去りにすることはありません。彼は人々に希望を宣言し、やがて、罪がもたらした闇を一掃される救い主が来られると預言しました。

そして、イエスは来られました。私たちは今、「やみの中を歩んでいた民は、大きな光を見た。死の陰の地に住んでいた者たちの上に光が照った」(2節)というイザヤの言葉を、新たな意味で理解します。どんなに絶望的な状況にあっても、私たちは決して闇の中で見捨てられません。イエスがおられ、光が輝きます。