Month: 12月 2021

罪悪感にさいなまれる不倫女性

聖書のみことば: ヨハネ8:1-11

「女とともに、イエスだけが残された」(ヨハネ8:9)

ある女性が不倫現場で捕らえられ、イエスの元に連れてこられました。告発者たちが「律法によれば石打ちで処刑しなければなりませんが」と迫ったとき、イエスは一言「罪がない者から石を投げよ」と語りました。それを聞いた告発者たちは一人、また一人と去って行きました。

告発者や野次馬たちが立ち去りイエスと彼女だけになるまでに、どれほどの時間がかかったのかはわかりません。その間彼女は、石や罵声がいつ飛んでくるかという恐れ、不倫現場を目撃されてしまった恥、何より「罪を犯してしまった」という罪悪感から、座り込んだまま動けなかったでしょう。顔を上げることもできなかったのではないかと思います。一方、イエスは恥と罪悪感に苦しむ彼女を直視することもせず、「身をかがめて、地面に何かを書き」ながら、まさに適当な距離感で寄りそっておられました。そして彼女の心が開くのを待って「わたしもあなたにさばきを下さない。行きなさい。もう決して罪を犯してはならない」とみことばをかけられました。

あなたの隣に座り込んで待つイエス

クリスマスに私たちと同じ人間としてお生まれになったイエス・キリストは、傷んだ葦(あし)を折ることもなく、くすぶる灯芯を消すこともないお方です(イザヤ42:3)。罪を見過ごすことはなさいません。しかしそうせざるを得なかった弱さに共感してくださいます。私たちが罪悪感や悲しみで打ちひしがれ座り込んでしまうとき、イエスの方から私たちの苦しみのただ中に降りて来てくださいます。そして私たちがみことばを聴いて立ち上がれるまで、隣に座っていてくださいます。それがどれほど長い時間であろうとも。

その名はインマヌエルと呼ばれる。訳すと「神が私たちとともにおられる」という意味である。(マタイ1:23)

考えよう
拭い去れない罪悪感や失敗を抱えていませんか。またそのような人とどんな距離感で接していますか。

祈ろう
罪を犯してしまい痛みに打ちひしがれるとき、あなたが待っていてくださることを思い出させてください。また、心痛める友にあなたのように寄りそう者と変えてください。

苦渋の決断を下すヨセフ

聖書のみことば: マタイ1:18-25

「ヨセフは眠りから覚めると主の使いが命じたとおりにし、自分の妻を迎え入れた…」(マタイ1:24)

婚約者マリアが「聖霊により妊娠した」と聞かされたヨセフの心中は、決して穏やかではなかったでしょう。驚き、困惑、怒り、不安、悲しみなど、様々な感情の嵐が心に吹き荒れたことでしょう。それでも、マリアが姦淫の罪で石打ちにされるのを避けるために、ヨセフは、自分の立場や評判を犠牲にしてでも、彼女を密かに離縁すると決めました。誰かに相談することもできず、一人で悩み抜いた末の苦渋の決断だったことでしょう。

ところが、彼の夢の中に主の使いが現れ、「恐れずにマリアを妻として迎えよ」と告げられます。ヨセフは納得できたでしょうか。心に渦巻いた様々な感情を、きれいさっぱりと拭い去ることができたでしょうか。そうではなかったのでは、と私は想像します。100パーセント納得できないけれど、困惑や、ブルーな気持ちが無いわけではないけれど、それでも神の言葉に従ってみようと決意して、行動したのではないでしょうか。

ブルーな気持ちのままでも大丈夫

そんなヨセフの心情をおもんぱかると、世界で最初のクリスマスは「ブルークリスマス」だったかもしれないと思います。ですから、あなたの抱えるブルーな思いも無理に打ち消さなくてよいのです。神は、ヨセフと共にいてくださったように、あなたとも共にいてくださり、言葉にできない複雑な思いを抱えながらも神に従う者を喜んでくださいます。神のご計画は、そのような人々を通して成しとげられていくのです。

考えよう
拭い去れない悲しみや怒り、不信感がありますか。そのままの自分で神と共に歩むことは、あなたにとって何を意味しますか。

祈ろう
神よ、あなたは肉体だけでなく感情も造られたお方です。否定的な感情があっても、ありままの自分で主の御前に出ることが許されていると納得できるよう助けてください。

疎外感を抱える羊飼い

聖書のみことば: ルカ2:8-20

「羊飼いたちが野宿をしながら、羊の群れの夜番をしていた。」(ルカ2:8)

うつの渦の中にいた頃、 私は強い疎外感を抱いていました。みんなは幸せそうだけれど、私は違う。みんなは楽しそうだけれど、私は苦しいだけ。人前では何とか自分を保っていましたが、明るい自分を演じれば演じるほど、心に惨めさが募っていく、そんな状況でした。もちろん、神がみんなを愛しておられることは知っていました。ただ、自分はその「みんな」に入っていないような気分でした。もがいてもあがいても振り払えない悲しみと孤独が、私にまとわり付いていました。

新約聖書時代のユダヤ人社会では、羊飼いは軽蔑されていました。皇帝の言う「全世界」に含まれず「住民」として数えられませんでした。宗教的にも疎外され、差別されていました。「全世界の住民登録」の勅令に従って先祖の町に帰郷していく人々を傍目に、いつも通り仕事をする羊飼いたちは胸中何を感じていたでしょうか。ところが、神はその彼らを心に留めておられました。見捨ても忘れもせず、それどころか、救い主の生誕に関わらせてくださったのです。そして彼らの喜びの証言が、聖書に収められました。

私の代わりに疎外されたイエス

あなたは今、大切なもの、大切なことから切り離されてしまったと感じていますか。もしそうなら、思い出してください。神は、あなたの憂いに目を留めて、救い主という大きな贈り物を与えてくださいました。イエスは降誕され、30年余りの悲しみの人生を過ごされた後、十字架上で「わが神、わが神。どうしてわたしをお見捨てになったのですか」と叫ばれました。神の御子が人となり、あなたや私の代わりに疎外されました。そして、キリストを信じる私たちを、御国の完成という壮大なドラマに関わらせてくださったのです。

考えよう
どんなときに最も疎外感を感じますか。そのときどのように反応しますか。

祈ろう
イエス様、私の代わりに疎外を引き受けてくださった事を信じます。今度はあなたと共に、御国の完成のために歩み出させてください。

クリスマスに贈る5つのデボーション ー 5日目

マリアとヨセフに家畜小屋を提供した宿の主人は、もっとふさわしい場所を提供したいけれどできないことに複雑な心境だったかもしれません。しかし、その善意を神はご存じです。

喜んで与える人

紀元3世紀に生まれたニコラスは、後世、自分がサンタクロースと称されるとは思わなかったでしょう。彼は、ただ神を愛し、純粋に人に心を配り、喜んで施したり、善い行いをしたりする人でした。ある家庭の窮状を知り、夜、金を入れた袋をその家の窓から投げ込みました。すると、袋は、暖炉のそばの靴(もしくは靴下)の中に入った、という話です。

クリスマスに贈る5つのデボーション ー 4日目

御告げを受けたマリアに、神は、エリサベツという信仰の友を与えてくださいました。
不安なときも、お互いの信仰を支え合ったのではないでしょうか。

聖書を描く

オランダ系の家庭でよく見かける青と白の装飾タイルはデルフト市で生まれました。そこには、美しい風景、点在する風車、働いたり、遊んだりする人々などが描かれています。19世紀、チャールズ・ディケンズは、小説『クリスマス・キャロル』の中で、古い暖炉は、古風なデルフト・タイルで敷き詰められていて「カインや、アベルや、パロの娘達や、シバの女王達、……海に出て行こうとしている使者達……がそこに描かれていた」と記しています。当時の人々は、家族で暖炉を囲みながら、タイルを教材として、聖書の物語を語り合いました。そして、神の品性、すなわち、神の義やあわれみを学んだのです。

クリスマスに贈る5つのデボーション ー 3日目

不倫現場で捕らえられ、公衆の面前に引きずり出された女性。恥と罪悪感に苦しむ彼女を、イエスは直視することなく、人々が去るまで寄り添われました。

世代の交流

環境活動家の青年ジャック・ワインバーグは、1964年、30歳以上の人間は信用するなと言いましたが、その発言で特定の世代を画一化してしまい、禍根を残しました。後年、「思いつきで放った言葉は、完全に歪められ、誤解されました」と語っています。