水回り設備の店の「エスケイプ」と書いた派手な看板に見入ってしまいました。手軽に温泉気分が味わえる浴室が欲しいと妻と話し合ったことがあったのです。けれども費用や電気代など逃げ出したい面倒なことも増えると考えてやめました。

エスケイプ、すなわち逃避、という言葉に心を引かれるのは、それが解放感、癒やし、安らぎなどを連想させるからです。風光明媚な場所でゆっくり過ごすことは、心引かれる逃避手段の一つで、それ自体は、少しも悪くありません。しかし、人生の苦難から逃げずに、神がそれを乗り超えさせてくださると信じなくてはならないときがあります。

イエスは弟子たちに信仰が試されるときが迫っていると語られ、「あなたがたは、世にあっては患難があります。しかし、勇敢でありなさい。わたしはすでに世に勝ったのです』」(ヨハ16:33)と言われました。彼らが絶望することなく、主を信頼し続けるように招かれました。「わたしがこれらのことをあなたがたに話したのは、あなたがたがわたしにあって平安を持つためです」(33節)と語られたのです。

イエスは苦痛のない人生を約束されませんでした。しかし、信じて神に憩えば、この世の何よりも深く満たされた平安を経験できると約束してくださいました。