Month: 2月 2022

人のことを喜び祝う決断

作家のマリリン・マッケンタイヤーは「嫉妬の反対は共に祝うこと」と友人に教わったと語ります。友人は障害と慢性痛のために才能を十分に開花させられませんでしたが、なぜか人のことを喜び祝う独自の術を習得し、亡くなる前には出会いの全てに心から感謝していました。

良い知らせの喜び

アラスカ地震は1964年のある夕刻に発生しました。マグニチュード9.2、4分以上の揺れに、アンカレッジ市街は巨大な穴と瓦礫の山と化しました。レポーターのジェニー・チャンスは、恐怖と暗やみの中で一晩中、ラジオニュースを伝えました。森林作業員は妻の生存を知り、キャンプ中のボーイスカウトの少年たちの無事が知らされました。行方不明の我が子の発見を聞いた夫婦もいました。ラジオは廃墟の中で良い知らせを伝えました。

家族の一員

英国のテレビドラマ『ダウントンアビー』は1900年代初めの社会変化の波にもまれるクローリー家の人々を描いたフィクションです。主要人物の1人、トム・ブランソンは、お抱え運転手でしたが、当主の末娘と結婚して一家に衝撃を与えました。しばらくの勘当の後、2人は帰郷し、トムは家族に迎えられました。使用人時代には無縁だった立場と特権を手にしたのです。

近づかない

ヤマネ(げっ歯類の小動物)の鼻がヒクヒクと動いて、移動し始めると、木の枝に吊るされた鳥の巣箱いっぱいの種子を見つけました。ヤマネは、鎖を伝って巣箱に降りて来て入口から入ると、一晩中、種を食べ続けました。ところが、朝になると大変な状況に陥りました。鳥たちが次々に来て巣箱の入口からヤマネをつつくのですが、ヤマネは食べすぎで身体が膨張し、そこから抜け出せなかったのです。

手本にならって

パンデミックの最中、24時間ズンバがオンラインで開催され、世界各地で何十万の人々が、色々な国のインストラクターについて同時にフィットネスをしました。なぜ、そんなことができたのでしょう。ズンバは1990年代半ばにコロンビアで生まれましたが、インストラクターの言葉を介さず、その動作だけを見てついていくエクササイズなのです。

星々への挑戦状

イタリアの詩人F・T・マリネッティは、20世紀初頭、未来派という前衛芸術運動を起こしました。それは、過去の芸術や伝統的な美の概念を否定し、機械を礼賛しました。1909年に発表した「未来派宣言」は、女性の侮辱、暴力の肯定、戦争の栄光を主張し、「我らは世界のいただきに立ち、空の星々へ再び挑戦状をたたきつける」と締めくくりました。

関係修復

エイモスは高圧的で自己主張が強く、ダニーは気弱で内向的でした。この2人の天才が、どういうわけか親友になり、10年間、苦楽を共にして研究しました。その研究は、後年ノーベル賞を受賞します。そんな未来を知る由もないダニーはエイモスの自分勝手さに疲れて絶縁を宣言しました。その3日後、エイモスは末期ガンで余命半年だと告げられたのです。ダニーは胸が張り裂けそうな思いで言いました。「僕たちは友人だ。君が何と言おうとも」

できないと言わない

ジェンは両足無く生まれ、病院に置き去りにされました。養子縁組をして、愛情を注いでくれた人たちのおかげで、今日があると語ります。養父母は、決して、できないとは言わせず、生まれついた身体には意味があると納得させてくれ、どんな夢を追うことも応援してくれました。彼女は現在、曲芸師として活躍しています。困難に対しては前向きの姿勢で臨み、人にもそうするように勧めます。

神に頼る

ハリエット・タブマンは奴隷の家庭に生まれ、読み書きができませんでした。残虐な主人のせいで頭部にけがを負い、生涯、後遺症に苦しめられました。しかし、逃亡奴隷となった後は、300人もの奴隷を救出するために神に用いられ、救出された人たちから「モーセ」と呼ばれました。