子どもたちが幼い頃、コロラドからアーカンソーまで帰省する16時間の道中の親子のやり取りです。「もう着く?」「まだだよ」「もう着く?」「まだだよ」。もし、尋ねるごとに100円もらうと決めていたら、100円玉の山ができていたでしょう。子どもたちは、しつこく尋ねましたが、実は、運転手の私も同じように尋ねていました。「もう着くかしら?」答えは「まだ、でも、もうすぐ」でした。

実際、ほとんどの大人は心の中で同類の質問をよくしています。なぜ、そう問うかといえば、疲れて「苦悶で衰え」たからです(詩6:7 新改訳2017)。私たちは嘆きで疲れ果てました(6節)。テレビは悪いニュースばかり、仕事のストレス、健康問題、人間関係の葛藤等々きりがありません。私たちは「主よ。いつまでですか」と叫びます。

ダビデもこの種の疲れを感じていて、その気持ちを詩篇に正直に表しました。神は、子を慈しむ親のようにダビデの叫びを聞き、彼の切なる願いを受け入れられました(9節)。お願いは、恥ではありません。ですから、私たちも天の御父に大胆に近づき、「いつまでですか」と真摯に問いかければよいのです。すると「まだ、でも、もうすぐです。神は最善を成すのだから、信じていなさい」と答えられるかもしれません。