前を走る数台の車が消火栓から噴き出す水を浴びて走り過ぎるのを見て、無料洗車のチャンス到来だと思いました。そして、ほこりまみれの車を嬉々として走らせました。しかし、朝から太陽に照らされていた黒い車のフロントガラスに冷たい消火栓の水が当たった瞬間、「ビシッ!」と音がして、上から下までひびが入ってしまいました。無料洗車のおかげで高いツケを払わされました。

ちょっと間を置いて考えていれば、または、祈っていればと悔やまれます。こんな経験がありますか。イスラエルも大変なことをやらかしました。神が約束された地に入ろうとしたとき、先住民の偶像に惑わされないために、先住民を追い出さねばならず、神はそれを助けると約束されました(申20:16-18、ヨシ3:10)。ところが、イスラエルを恐れた先住民の一部が、古く乾いたパンを使って彼らをだまし、両者は盟約を結んだのです。イスラエルは、神に故意に逆らったわけではありません。しかし、結果として、神の指示を反故にしました(ヨシ9:14-15)。

祈りを最後の手段ではなく、手始めにすべきこと、にするなら、神の指針、指示、知恵や祝福は、私たちのものです。どうか立ち止まって祈ることを忘れないように、神が助けてくださいますように。