私は「愛する神よ、あなたの思いやり深い懲らしめを感謝します」と小声でつぶやきました。思いあがっていたと認めるのは辛いことでした。次々と仕事が成功して称賛を受ける中で、私は神の導きを拒んで自分の能力に頼っていました。自分の実力などたいしたものではないと難しい局面にぶつかって気付きました。神の助けがなくても大丈夫と、己の高慢さにだまされていたのです。

エドムは強い国でしたが、その高慢のために神に懲らしめられました。エドムの地は山に囲まれ難攻不落の地に見えました(オバ1:3)。また、交易路の中心にあり、豊富な銅脈もあるなど、豊かな国でした。エドムは多くの良いもので満ちていましたが、優越心にも満ちていました。自分たちは無敵で、神の民を迫害しても平気だと信じていました(10-14節)。しかし、神は、預言者オバデヤを通して神の裁き、つまり、エドムに敵対する国々が立ち上がり、強力な王国は無残なまでに蔑まれる、と宣告されました(1-2節)。

高慢は私たちを欺まんします。神を無視して、自分の力で何とかなると考え、権威、懲罰、己の弱さを恐れなくなります。神は、御前にへりくだれと命じられます(Ⅰペテ5:6)。私たちが悔い改めて高慢を退けることを選ぶなら、神は全き信頼に私たちを導いてくださいます。