Category  |  傲慢・プライド

高慢と欺まん

私は「愛する神よ、あなたの思いやり深い懲らしめを感謝します」と小声でつぶやきました。思いあがっていたと認めるのは辛いことでした。次々と仕事が成功して称賛を受ける中で、私は神の導きを拒んで自分の能力に頼っていました。自分の実力などたいしたものではないと難しい局面にぶつかって気付きました。神の助けがなくても大丈夫と、己の高慢さにだまされていたのです。

無いものねだり

アーロン・バーは下院の判断をかたずをのんで待ちました。1800年の米国大統領選挙でトマス・ジェファーソンと同数票を獲得し、自らの当選を期待しました。しかし、落選。彼の心は恨みにむしばまれ、自分の立候補を支持しなかったアレクサンダー・ハミルトンと数年後に決闘し、彼を銃殺しました。この殺人に激怒した国民は彼に背を向け、バーは不機嫌な老人として世を去ったのです。

デスゾーン

エベレスト登頂に成功した登山家は、2019年のその日、最後の朝日を見ました。彼は危険な登りに耐えましたが、高地が心臓にダメージを与え、下山途中に落命しました。専門家は、頂上はゴールではないと警告します。自分が「デスゾーン」にいると認識して、登下山はすみやかにしなければなりません。

最悪に嫌な私

ダーシーは「まずまずだ。だが、ぼくの気をそそるほど美しくはない」と語りました。この台詞のおかげで、ジェーン・オースティンの小説『高慢と偏見』は決して忘れられない本になりました。ダーシーを最悪だと思った私は、登場人物のエリザベス・ベネットと同様、彼の本当の姿を知ろうとしませんでした。己の嫌悪感に固執したかったのです。しかし、徐々に、また不本意ながら、考えを変えざるをえませんでした。そして、読後には、私が実生活で同じ間違いをした相手は誰だっただろう、嫌いと決めつけて、逃してしまった友情があったかもしれない、と思いました。

神ではない

自分が高慢ではないかセルフチェックすることを、C.S.ルイスは『キリスト教の精髄』の中で勧めています。ぞんざいに扱われる、無視される、見下される、自慢を聞かされる。このような扱いを受けたとき、どれほどの嫌悪感を抱くかがひとつの指標です。ルイスは、高慢は諸悪の根源で、家庭や国家を惨めな状況にすると考えました。それは「霊の癌」で、愛、満足、良識を食い尽くすと述べました。

本当の成功

番組のゲストは丁寧でしたが、インタビューの最中、何となく違和感を覚えました。それが何なのかは、「あなたは何万人もの人に感化を与えました」と、私が言ったときに分かりました。彼は「何百万だけど…」とボソッとつぶやき、自分の複数の肩書や華々しい功績を語り、私の無知をあわれむかのようでした。

間違った自信

数年前、医者に厳重に注意されたので、運動したり食生活を変えたりしました。するとコレステロール値は下がり、体重も減り、自己イメージが上がりました。一方、よくないことも起こりました。他人の食事を批判するようになったのです。おかしなことですが、私たちは自分に有利な採点システムを見つけて、人を見下しがちです。自分勝手な基準で己を正当化し、罪意識を軽減しようとする傾向があるようです。

間違ったプライド

偉業を成し遂げた人を現役でも「レジェンド」と呼ぶことがあります。プロ野球選手だった友人は「レジェンド」のように振舞う多くのスポーツ選手に会ったと語ります。高慢は自分を見失わせがちです。謙虚ならば、本当の自分が見えてきます。