インド中部でキリスト教徒と他宗教の人々の間で緊張が高まったことが20世紀半ばにありました。その時、屋根の十字架を壊すように言われて、3階建ての建物によじ登った若者がいましたが、目的を果たす前に落ちて大けがをしました。病院に運ばれると、同室の患者はキリスト者でした。

その人はけがをした人に、十字架の意味、また、彼を贖うためにイエスが十字架で死んでくださったことを語りました。すると、若者は感動して「主イエスよ、赦してください!あなたを冒涜するつもりはありませんでした。言われて仕方なくやったのです」と叫びました。

キリスト教のシンボルを取り除こうと何かをしたところで、福音の力は止められません。パウロは、「十字架のことばは、……神の力です」(Ⅰコリ1:18)と述べ、イエスも、「よみの門もそれに打ち勝つことはできません」(マタ16:18)と語られました。十字架はキリスト教の象徴ですが、単なる飾りではありません。一方、十字架自体には何の価値もありません。人の罪が神に赦されるために、イエスが十字架で死なれました(コロ2:13-14)。それを自分ごととして受け止めるとき、十字架に大きな価値が生まれます。あなたは、神の御子が自分のために死んでくださったと信じていますか。まだなら、今日信じましょう。