親戚の少女の誕生日パーティーに行くと、その子の好きな物でいっぱいでした。部屋の飾りつけ、プレゼント、そしてごちそうです。彼女は、ステーキ、サラダ、ホワイトチョコとラズベリーのバントケーキが好きなので、母親は、ステーキを焼き、ほうれん草のサラダを添え、お気に入りのケーキを注文しました。これらは愛情を表しています。

聖書には祝宴や祭りに関する多くの記述があり、食べるという行為と神のまことを祝うことが対(つい)になっています。祝宴は、犠牲をささげるイスラエルの礼拝の一部で(民28:11-31)、過越の祭、五旬節や毎月行われる新月祭があります。神は「食卓を整え」、私たちの「杯」は、あわれみと愛に満ちている、と詩篇23篇5節は語ります。歴史上最も贅沢な「対(つい)」は、イエスがパンを裂き、ぶどう酒の杯を取り、私たちの救いのために十字架で死ぬと示された食事でしょう。そして主は、「わたしを覚えて、これを行いなさい」(ルカ22:19)と命じられました。

今日の食事の時、神を思い巡らしましょう。私たちの口や胃袋を造って、ご自分の忠実な愛を表す手段として食事を整えられるお方に心を向けましょう。私たちの神は、忠実な者と祝宴を催し、乏しい私たちを完璧に満たして、愛を表されるお方です。