夫が少年野球の監督をしていた時のことです。打ち上げパーティーをすると、最年少のダスティンが「今日は負けたんじゃないの?」と言いました。「ええ。でも、みんながベストを尽くしたことが誇らしいの」「でも負けたよね」私はうなずきました。「なのになぜ、勝ったように感じるの?」私は「それはね、あなたが勝利者だから」と笑顔で答えました。
彼は試合に負ければ「負け組」と思っていました。キリスト者の勝負はスポーツだけではありませんが、辛い状況があると、それを己の価値の投影と思いがちです。
私たち、神の子どもが体験する現在の苦しみと未来の栄光はつながっている、と使徒パウロは証言しました。人は救われても罪と苦闘します。イエスは、ご自分をささげてくださった後も、そういうキリスト者のために働き、私たちをご自分と似た者に変えてくださいます(ロマ8:31-32)。私たちは皆、苦労したり追い込まれたりしますが、神の揺るぎない愛に助けられて前進します(33-34節)。
苦しい境遇を己の価値に結びつける誘惑にかられるかもしれません。よろけるときもあるでしょう。しかし、最終的な勝利が保証されています。なぜなら、私たちは「圧倒的な勝利者」ですから(35-39節)。
神の愛を信じていたからくじけなかったという証しはありますか。最悪の状態になったときに、神はどうやって「あなたは神に愛された大切な存在だ」と再認識させてくださいましたか。