ゲツセマネの悲しみ
第一章 イエスが経験された悲しみ
初めて引率したイスラエル聖書旅行は、息をのむような素晴らしいものでした。初日はカルメル山のホテルに泊まり、その後メギドやガリラヤ湖など聖書に登場する場所、またマサダやホロコースト記念館など歴史的に重要な場所を巡りました。学びの多い、盛りだくさんの旅でした。
しかし、他のどんな名所よりも「聖地」と呼ぶにふさわしいと思う場所がありました。それはゲツセマネの園、イエスの受難が始まった所です。そこでイエスの苦しみを思い巡らし祈る時間は、まさに聖地での厳粛な体験でした。マタイとマルコは園でのイエスの経験を、同じような言葉で記しています。
そのとき、イエスは彼らに言われた。「わたしは悲しみのあまり死ぬほどです。ここにいて、わたしと一緒に目を覚ましていなさい。」それからイエスは少し進んで行って、ひれ伏して祈られた。「わが父よ、できることなら、この杯をわたしから過ぎ去らせてください。しかし、わたしが望むようにではなく、あなたが望まれるままに、なさってください」(マタイ26:38-39 強調は筆者による)
さて、彼らはゲツセマネという場所に来た。イエスは弟子たちに言われた。「わたしが祈っている間、ここに座っていなさい。」そして、ペテロ、ヤコブ、ヨハネを一緒に連れて行かれた。イエスは深く悩み、もだえ始め、彼らに言われた。「わたしは悲しみのあまり死ぬほどです。ここにいて、目を覚ましていなさい」(マルコ14:32-34 強調は筆者による)
ここに、十字架を目前にしたイエスの苦悩を見ることができます。恐怖とも言えるような苦悩です。それ以前にも2度、イエスはその苦悩を表しておられました。1度目は神殿で異邦人たちが、イエスに一目会いたいと願った時です。御父のご計画の壮大さを示すかのように、イエスはこう答えられました。
今わたしの心は騒いでいる。何と言おうか。「父よ、この時からわたしをお救いください」と言おうか。いや、このためにこそ、わたしはこの時に至ったのだ。(ヨハネ12:27 強調は筆者による)
2度目は、最後の晩餐(ばんさん)の席でユダの裏切りについて語られた時です。
イエスは、これらのことを話されたとき、心が騒いだ。そして証しされた。「まことに、まことに、あなたがたに言います。あなたがたのうちの一人が、わたしを裏切ります」(ヨハネ13:21 強調は筆者による)
2回ともヨハネは「心が騒ぐ」という言葉でイエスの様子を描写しています。これは興奮して落ち着かない、悩み苦しんでいる、感情がかき立てられる、不安でしょうがないといった様子を表します。御父の目的を成就するために来られた神の御子にもかかわらず、ご自身を待ち受ける苦難を思う時、イエスの心は苦悩でいっぱいになりました。
これら2度の悲しみはゲツセマネへの序章でした。ゲツセマネでイエスは、ご自身を確かに待ち受ける十字架上の現実を直視し、葛藤されました。心騒ぐだけにとどまらず、「深く悩み」「もだえ」苦しまれました。とうとうこの園で、抑えきれなくなった苦悩があふれ出したのです。
来るべき受難への重圧は今や最高潮に達し、イエスを押しつぶそうとしていました。ゲツセマネはオリーブ油の産地でしたが(※)、大きな石の重みでオリーブの実が砕ける、その様子はまさにイエスが「この責任から解いてほしい」と必死に祈られた姿に重なります。その苦悩の激しさは「この杯を取り去ってください」と3度も祈られるほどでした。しかしそれでも、イエスは父のみこころに従われました。私たちのためにご自身をささげ、そして、十字架の上で私たちの悲しみをその身に負ってくださいました。
※ ゲツセマネはオリーブ山のふもとにある。オリーブの木が多く、その地名はアラム語で「油搾り」という意味。
さあ、十字架に進みましょう。
死別の悲しみ
第一章 イエスが経験された悲しみ
私が初めて死を身近に経験したのは、大学時代の親友マックが突然亡くなった時でした。大きな事故で、ガールフレンドのシャロンと共に命を落としました。私の抱いた喪失感は深く激しいものでした。4年後に父を亡くすと、喪失感はさらに大きくなりました。死別は胸がつぶれるような悲しみをもたらします。イエスもそれを経験されました。ヨハネの福音書には主が親しい友ラザロを亡くされた時のことが書かれています。
イエスが愛する人の死に直面されるのは初めてではないはずです。この時までに、すでに地上の養父、ナザレの大工ヨセフを亡くされていたと思われます(※)。しかしヨハネの福音書11章は四福音書の中で、個人的な死別と喪失に直面されるイエスの姿を伝える代表的な箇所です。
※ ヨセフは福音書にほとんど登場しませんが、イエスの人生に何の影響も与えなかったわけではありません。イエスは幼少期からご自身が救いをもたらすために来た神の子だとご存じでしたが、だからといって地上の父ヨセフと何のつながりもなかったと結論するのは浅はかです。彼の死はイエスの心に大きな影響を与えたことでしょう。
ラザロの姉妹たちはイエスに使いを送り、彼が危篤だと伝えました。しかし主はすぐには応じられませんでした。ご自身が後になさることを知っておられたからです。
これを聞いて、イエスは言われた。「この病気は死で終わるものではなく、神の栄光のためのものです。それによって神の子が栄光を受けることになります」(ヨハネ11:4)
また続いてこうあります。
イエスはこのように話し、それから弟子たちに言われた。「わたしたちの友ラザロは眠ってしまいました。わたしは彼を起こしに行きます。」弟子たちはイエスに言った。「主よ。眠っているのなら、助かるでしょう。」イエスは、ラザロの死のことを言われたのだが、彼らは睡眠の意味での眠りを言われたものと思ったのである。そこで、イエスは弟子たちに、今度ははっきりと言われた。「ラザロは死にました」(ヨハネ11:11-14)
イエスはご自身がこれからなさることを知っておられました。その点に疑いの余地はありません。それでもラザロの墓の前に立ち、悲嘆に暮れる姉妹マルタとマリア、また嘆き悲しむ村人たちを見て、心を痛められたのです。友の死をどれほど激しく悲しまれたかをよく読み取ってください。
イエスは、彼女が泣き、一緒に来たユダヤ人たちも泣いているのをご覧になった。そして、霊に憤りを覚え、心を騒がせて、「彼をどこに置きましたか」と言われた。彼らはイエスに「主よ、来てご覧ください」と言った。イエスは涙を流された。ユダヤ人たちは言った。「ご覧なさい。どんなにラザロを愛しておられたことか。」しかし、彼らのうちのある者たちは、「見えない人の目を開けたこの方も、ラザロが死なないようにすることはできなかったのか」と言った。イエスは再び心のうちに憤りを覚えながら、墓に来られた。墓は洞穴で、石が置かれてふさがれていた。(ヨハネ11:33-38 強調は筆者による)
ヨハネは強い言葉を連ねてイエスの悲しみを描写しています。救い主なるお方が「心を騒がせて」「涙を流された」と述べるにとどまらず、親しい友の死に「憤りを覚えた(※)」とさえ書いています。
※ これは怒りや義憤、あるいは激怒さえ表現する語である。このような激しい感情を引き起こしたのは何なのか。それは死とそれに伴う悲しみをもたらす罪への義憤だと理解する者もいる。……あるいは、ご自身の苦しみの杯が近いことを知り、人間の苦悩の重さを実感されたからだともいえる。(The New Bible Comentary)
ご自身が神の御力でラザロを復活させるとご存じでしたが、それでもイエスはその死を嘆き悲しまれました。それも強い憤りを伴って、です。この重要な点を見逃してはなりません。死と戦うために来られたイエスは今、その敵が人間に及ぼす力と影響の大きさを直視し、嘆き悲しまれたのです。イエスが来られたのは、この死を滅ぼすためでした。後にパウロが述べたとおりです。「最後の敵として滅ぼされるのは、死です。(Ⅰコリ15:26)」死はささいな問題ではありません。神にとってさえそうです。詩篇116篇15節はこう語ります。
主の聖徒たちの死は 主の目に尊い。
事実、神は悪者の死にさえ心を動かされるお方です。預言者エゼキエルはこう告げています。
わたしは悪しき者の死を喜ぶだろうか──神である主のことば──。彼がその生き方から立ち返って生きることを喜ばないだろうか。(エゼ18:23)
わたしは生きている──神である主のことば──。わたしは決して悪しき者の死を喜ばない。悪しき者がその道から立ち返り、生きることを喜ぶ。立ち返れ。悪の道から立ち返れ。イスラエルの家よ、なぜ、あなたがたは死のうとするのか。(33:11)
拒絶される悲しみ
第一章 イエスが経験された悲しみ
「案ずるより産むが易し」ということわざがありますが、要は人生理屈ではないということです。実体験に勝るものはありません。例えばオリンピック初出場のアスリート。マスコミに囲まれ、自分のことが四六時中報道されるような事態に戸惑うことでしょう。また、全国民の期待を一身に背負って戦うプレッシャーも、実際に経験しなければ分からないでしょう。一方、これまでに出場したことのある選手は「経験があるから有利だ」と公言します。人生は理屈ではなく経験なのです。
驚くべきことに、同じことが人となられたイエスにも言えます。肉体をまとってこの世に来られたのは単なる見物人としてではありません。キリストは人としての人生を十分に、そして完全に生き抜いてくださいました。単にこの痛みに満ちた世界を視察するためではなく、実際に経験するために来られ、人生の最も困難な状況さえ味わってくださったのです。
【拒絶される悲しみ】
誰もが多かれ少なかれ拒絶を経験します。人間関係がこじれてしまった、仕事を突然クビになった、スポーツの試合で補欠になった、テレビの人気オーディション番組で落選した……。程度の差こそあれ、似たような経験は日常生活にたくさんあるはずです。
拒絶されると心が痛むのはなぜか。それは「あなたは求められていない、評価されていない、必要ない」というメッセージを言外に(時にはっきりと)受け取り、「自分なんかダメだ、価値が無いんだ」と信じ込んでしまうからです。しかし、もっと大切な問いがあります。歴史上で最も完全で価値あるお方は、どのように拒絶を経験されたのか。その事実は、傷つきやすい私たちに何を教えるのか。ルカの福音書13章でイエスは拒絶を経験されますが、そこには2つの側面がありました。
ちょうどそのとき、パリサイ人たちが何人か近寄って来て、イエスに言った。「ここから立ち去りなさい。ヘロデがあなたを殺そうとしています。」イエスは彼らに言われた。「行って、あの狐(きつね)にこう言いなさい。『見なさい。わたしは今日と明日、悪霊どもを追い出し、癒やしを行い、三日目に働きを完了する。しかし、わたしは今日も明日も、その次の日も進んで行かなければならない。預言者がエルサレム以外のところで死ぬことはあり得ないのだ。』エルサレム、エルサレム。預言者たちを殺し、自分に遣わされた人たちを石で打つ者よ。わたしは何度、めんどりがひなを翼の下に集めるように、おまえの子らを集めようとしたことか。それなのに、おまえたちはそれを望まなかった。見よ、おまえたちの家は見捨てられる。わたしはおまえたちに言う。おまえたちが『祝福あれ、主の御名によって来られる方に』と言う時が来るまで、決しておまえたちがわたしを見ることはない」(ルカ13:31-35)
イエスはエルサレムに拒絶されますが、まず注目すべきは、その発端が小さな、個人的な拒絶だったことです。ここに登場するヘロデはローマ帝国の支配下だったユダヤ地方の領主で、マタイの福音書2章で赤子イエスを殺そうとしたヘロデ大王の息子、ヘロデ・アンティパスです。ルカの福音書には、後にイエスが捕らえられた際、彼がイエスの行う何らかの奇跡を見たがったとあります(23:6-12)。しかし、ここではイエスを恐れ、殺そうとしています。なぜでしょう。理由は9章7節-9節にあります。彼はイエスを、死人の中からよみがえったバプテスマのヨハネだと考えたのです。そしてヨハネを殺したように、イエスをも殺そうとしています。これは度を超した拒絶と言う他ありません。
また意外なことに、イエスにこの差し迫る危険を知らせたのは、普段敵対していたパリサイ人でした。どうしてでしょう(※)。ある注解書は次のような可能性を指摘します。
「パリサイ人たちはなぜイエスを守ろうとしたのか。この状況を、イエスを追い払う口実に使ったと考えるのが妥当だろう。イエスはご自身の目的地がエルサレムだと公言し、着々と歩みを進めておられた。従ってパリサイ人たちの意図は明確である。彼らはイエスが恐れをなして使命を断念するよう仕向けたのだ」(The Bible Knowledge Commentary)
※ 一方で次のように考えることもできる。パリサイ人がイエスを守ろうとしたのは、その中にイエスへの迫害を望まない者が何人かいたからかもしれない。ニコデモは、イエスの公生涯の初期からキリストへの信仰の歩みを始めていた。後にガマリエルは、知恵によって他の議員たちを説得し、使徒たちの命を守った(使徒 5:33-39)。また、アリマタヤのヨセフは(必ずしもパリサイ人ではないが)「有力な議員」で、イエスへの信仰を表明した。
しかしルカ13章で注目すべきは、イエスはエルサレムを目指しながらも、そのエルサレムがご自身を拒絶したとご存じだったことです。後に輝かしいエルサレム入城を果たされるにもかかわらず、ここでは、めんどりがひなを集めるように、何度も彼らを集めようとしたが、彼らはそれを拒んだと嘆いておられます(34節)。聖書教師ウォレン・ウィアズビーは次のように書いています。
悔い改めて救われる機会を何度も与えられたのに、人々はイエスの呼びかけに心を留めなかった。「おまえたちの家」とは、ヤコブの子孫(イスラエルの家)と神殿(神の家)の両方を指す。イエスはどちらも「見捨てられる」と語られたが、事実、街も神殿も破壊され、人々は散らされた。
エルサレムはイエスを拒んだことで、自らの上に大きな苦難を招きました。誤解しないでください。イエスは彼らの拒絶に深く傷つき、心を痛められたのです。その悲嘆の深さが、この箇所にはっきりと表れています。
はじめに
あのヒーローが再びスクリーンに帰ってきました。2013年、クリストファー・ノーラン監督による『スーパーマン』のリブート版、『マン・オブ・スティール(直訳:鋼の人)』が封切られたのです。
公開に先立つインタビューで、ヒロインのロイス・レインを演じたエイミー・アダムスが示唆に富む発言をしています。スーパーマンの物語が世代を超えて人気なのは、誰の心にも本質的な憧れがあるからだと言うのです。「私たちを自分自身から救い出してくれる人がどこかにいる、そう信じたくない人なんているのでしょうか」
核心を突いた問いです。窮地のとき、私たちは誰かの助けを求めます。「鋼の人」スーパーマンが来てくれればいいのに、と思います。しかし、聖書が告げるのは、それとは異なる筋書きです。来るべきメシヤ、贖(あがな)い主、救い主について、イザヤはこう預言しました。
彼は蔑(さげす)まれ、人々からのけ者にされ、
悲しみの人で、病を知っていた。
人が顔を背けるほど蔑まれ、
私たちも彼を尊ばなかった。
まことに、彼は私たちの病を負い、
私たちの痛みを担った。
それなのに、私たちは思った。
神に罰せられ、打たれ、苦しめられたのだと。
(イザヤ書53:3-4 強調は筆者による)
「鋼の人」とは似ても似つきません。この世の常識とは真逆に、王は「鋼の人」ではなく「悲しみの人」として来られるというのです。この預言でイザヤが伝えようとしていることを端的にまとめれば、次のようになるでしょう。
イエスは私たちの罪と咎(とが)だけでなく、私たちの痛みや悲しみをも担われた。
本書は、ここからニつの大切な問いを取り上げます。一つ目は、「悲しみの人」イエスが人として歩む中で、どのような痛みや苦しみを経験されたのか、ということです。前半はイエスの直面された苦悩に注目します。イザヤの預言の通り、イエスが正真正銘「悲しみの人で、病を知っていた」ということを福音書から見ていきましょう。
一方、「悲しみの人」イエスの個人的な経験は、現代を生きる私たちの様々な苦悩とどう関わるのでしょうか。これが二つ目の問いです。イエスの苦しみは、十字架と復活による救いの恵みに加え、何かを私たちにもたらしたのでしょうか。後半ではヘブル人への手紙を手掛かりに、この点を考えます。
もちろん、「悲しみの人」は私たちの罪と咎を担うために来てくださいました。しかしそれだけでなく、私たちの悲しみと痛みをも担ってくださいました。キリストが地上で経験された暗闇をつぶさに見ることで、イエスがあわれみ深く信頼に足る大祭司だと理解できるでしょう。このお方がおられるから、私たちも人生の暗闇を歩んでいくことができるのです。
ビル・クラウダー
(このプランは同タイトルの探求の書を再構成したものです)
満足を手に入れる
幸せを求めて頑張ったのに空しいと、人生相談のコラムで嘆く人に、ある精神科医がにべもない回答をしました。人間は幸福になるためではなく「生きて子孫を残すためだけに」存在している。そして、呪われ、満足という「捕まらないチョウのちょっかい」に翻弄(ほんろう)されている、というのです。
兄弟サウロ
交換留学生になった時、私は「あの国以外に遣わしてください」と祈りました。行く先は未定でしたが、行きたくない国ははっきりしていました。その国の言葉はできず、国民性や習慣に関しても偏見を持っていました。
罪を取り除く
庭の水道の横に雑草が芽吹いていましたが、大したことはないと無視していました。まさか芝生を傷めるとは思わなかったのです。しかし、数週間後には小さな茂みとなって庭を占領し始めました。伸びた茎は通路をまたぎ、別の場所にも芽が出ました。大問題です。夫婦で根こそぎにし、除草剤をまきました。