ジュノという保護猫をもらいました。大人の黒猫です。正直なところ、私はネズミを退治したかっただけでしたが、家族はペットが欲しかったのです。保護施設の担当者は、最初の週は必ず同じ時間に餌をあげるように指導しました。ここが自分の家であり、必ず餌をもらえる安全な場所だと学ばせるためです。そうすれば、仮に徘徊(はいかい)しても、必ず帰って来るからです。

もし、帰る場所を知らなければ、私たちは、愛、守り、生きがいなどを求めてさまよいがちです。本当の自分という人生を見つけたいなら、イエスは「わたしにとどまりなさい」(ヨハ15:4)と言われます。聖書学者のフレデリック・デール・ブルーナーは、「とどまる」という言葉は、滞在や居住を連想させ、家や家族を想起させると指摘し、このみことばを「私を自分の家にしなさい」と訳しています。

この教えを納得させるために、イエスは、ぶどうの木と枝について語られました。枝が生き抜くためには、自分がいるべき場所、つまり、木につながっていなければなりません。

こうすれば問題が解決し、より良い未来が開ける、というもっともらしいアドバイスが、ちまたに溢れています。しかし、真に生きたいなら、イエスにとどまらなくてはなりません。イエスを自分の家にしましょう。