慢性的な痛みと疲労を抱えていると、家の中でも孤立し、孤独に苛まれます。私はよく、自分は透明人間のようだと感じます。ある朝、そんなもんもんとした思いを抱えて介助犬と散歩していると、遠くに熱気球が見えました。あそこから住宅地を眺めても、私の姿は見えないでしょう。私は家が連なる近所の通りを歩きながら、ため息をつきました。玄関扉の向こう側で、自分に目を留め、気をかける人などいないと感じている人が、どれほどいることでしょう。そして、祈りました。私は目を留めます、もちろん神も目を留められます、そのことを伝える機会を下さい、と。

聖書は「主は星の数を数え そのすべてに名をつけられる」と語ります(詩147:4)。親密で気配りに富んだ御業。神の御力、すなわち洞察力、識別力、知識力は測り知れず、時を超えています(5節)。

神は私たちの嘆きを聞き、無言の涙を見ておられます。安堵(あんど)のため息、心の底からの笑い、つまずきや克服、心に潜む恐れ、秘めた思い、大きな夢もご存じです。私たちの過去も、今、どこへ向かおうとしているのかも知っておられます。私たちが隣人の状況に目を留め、耳を傾け、寄り添い愛そうとするなら、神は助けてくださいます。その中で、神は見、理解し、手を差し伸べてくださるお方、私に対してもそうしてくださるお方だと、信じられるようになります。