チャールズ・リボルグ・マンとジョージ・ランサム・ツイスは、1905年の著書『物理』で、「人里離れた動物もいない森で木が倒れた時に、音はするか」と問いました。それを発端に、音、認知、存在に関する議論が、哲学と科学の両分野で始まりましたが、今も結論は出ていません。

誰にも打ち明けていない問題があって、悲しく孤独だったある夜、ふと思いました。私の叫び声を聞く人がいないとき、神はそれを聞いておられるのだろうか。

詩篇116篇の作者は、死の危険と苦しみと悲しみに圧倒され、世界から見捨てられたように感じたのでしょう。神に向かって叫びました。「主は私の声 私の願いを聞いてくださる。主が私に耳を傾けてくださる」(1-2節)と知っていたからです。あなたの痛みを誰一人知らなくても、神はご存じです。あなたの叫び声を誰一人聞かない時でも、神は聞いておられます。

神が愛し守ってくださると知っていると(5-6節)、困難な状況の中でも「全きいこい」(7節)があります。「いこい」と訳されたヘブライ語(ムヌㇰハイ)は、静かで安全な場所という意味です。神が共にいて助けてくださるという安心によって、私たちは強められ平安です。

前述のマンとツイスの質問には、多くの回答がありました。しかし「神は聞いているか」という問いに関するなら、その答えは当然「聞いている」です。