牧師は極度の近視で、細めた目を原稿に近づけて単調な声で語りました。しかし、聖霊は彼の説教を通して働かれました。ジョナサン・エドワーズは、「第1次大覚醒」と呼ばれる米国のリバイバルを勢いづけ、多くの人がキリストを信じました。

神はご自分の完璧な目的を果たすために意外なことをされます。使徒パウロは、自分本位な人間たちをイエスの愛の十字架を通してご自身に近づける、という神のご計画について書き、「しかし神は、知恵ある者を恥じ入らせるために、この世の愚かな者を選び、強い者を恥じ入らせるために、この世の弱い者を選ばれました」(Ⅰコリ1:27)と結論づけました。世の中の人は、神の知恵とは抗えない力で迫ってくる頭脳明晰(めいせき)な人の意見のようだと考えます。一方、イエスは、へりくだり、静かに来られ、私たちを罪から救われ、「神からの知恵、すなわち、義と聖と贖(あがな)いになられました」(30節)

永遠にして全能の神が、人間の赤子となり、成人して苦しみを受け、死んでよみがえられました。神のもとに帰る道を、愛をもって人に示すためです。神は、私たちにはできない偉大なことを、地味な手段と人間を用いて成就されることを好まれます。もし私たちが自分を差し出すなら、用いられるかもしれません。