キゾンボはたき火を見つめ、自分の人生を考えました。「大したことは何もしていない」。密林奥の故郷に帰り、父が創立した学校で働いていました。同時に、2度の内戦を生き抜いた父の人生を記そうとしていましたが、それは大それたことのように思えました。

彼はモーセのようです。神が「わたしは、あなたをファラオのもとに遣わす。わたしの民、イスラエルの子らをエジプトから導き出せ」(出3:10)と命じられると「私は、いったい何者なのでしょう」(11節)と答えたのです。

モーセの言い訳に対して、彼が手に持っているものは何かと、神は問われました。それは杖でした(4:2)。杖を命じられた通りに投げると蛇に変わりました。命令に従ってつかむと杖に戻りました(4節)。蛇はエジプトの神々の一つ。モーセは文字通りそれを手中に収めたのです。エジプトの神々は唯一真の神にとって脅威ではありません。モーセは神の御力でファラオに対峙(たいじ)しました。

キゾンボはモーセを思い「わたしとわたしのことばがともにある」と神が答えられたように感じました。父の人生に示された神の御力を知らせるために書いてほしいと言った友人もいました。彼は独りではありません。

どんなに頑張っても独りでは無力です。しかし、私たちは「わたしが、あなたとともにいる」と言ってくださる神に仕えています(出3:12)。