悲惨と孤独
聖書がマリヤについて述べる第三番目は、今ではグッド・フライデー(聖なる金曜日)と呼ばれる、あの忌まわしい金曜日のことです。マリヤは、弟子たちが逃げてしまった後もずっと十字架のもとにいました。マルコの福音書には、 「また、遠くのほうから見ていた女たちもいた。その中にマグダラのマリヤと、小ヤコブとヨセの母マリヤと、またサロメもいた」と振り返ります(マルコ15:40-41)。
苦しみ抜いた後、イエスは死なれました。アリマタヤのヨセフは十字架からイエスの遺体を引き取り、ニコデモの協力も得て、イエスを埋葬しました(ヨハ19:38-39)。
マタイはそのときの様子を、「ヨセフはそれを取り降ろして、きれいな亜麻布に包み、岩を掘って造った自分の新しい墓に納めた。墓の入口には大きな石をころがしかけて帰った。そこにはマグダラのマリヤとほかのマリヤとが墓のほうを向いてすわっていた」と記しています(マタイ27:59-61)。
福音書の筆者たちは4人とも、マリヤたちのことを忘れずきちんと記しました。イエスが十字架にかけられていたあの恐ろしい時間、彼女たちはそこを離れなかっただけでなく、主イエスがどこに葬られるか見届けました。安息日が終わったなら、主の身体に香油をぬってさしあげようと考えていたからです。そこには、イエスに全身全霊をささげ、辛い悲しみの中でも、その献身の揺るがない女性たちがいました。
そんな女性たちですから、日曜日、東の空が白むころに、イエスの墓に急いでやって来たとしても、不思議ではありません。マリヤをはじめとする女性たちは、当時のユダヤ社会で自分たちが果たすべき当然の役割、すなわち、亡くなった人の亡きがらを作法に則って埋葬するために来ました。ところが道中、「墓の入り口のあの石をころがしてくれる人が、だれかいるでしょうか」と心配になりました。アリマタヤのヨセフとニコデモが急いでイエスの亡きがらを墓の中に横たえ、重い円盤状の大石を転がして墓の入り口をふさいだのを見たからです。その上、その石戸はローマ政府によって封印されていました。ローマの封印が解かれることはありません。それでも、女性たちはイエスのために正しいことをしなければと心に決めていました。彼女たちは、イエスがガリラヤを巡回し、ユダヤとガリラヤを往復した3年間、その旅と生活の費用をまかないました。イエスの食事や健康管理は、自分たちの責任だと考えていました。ですから、イエスの埋葬とて、いいかげんなままで終わらすわけにはいきません。大きな石とローマの封印という難題があることは承知の上で、安息日が終わるやいなや、最初に行動を起こしました。
注)数年前、欧米でベストセラーになった「ダビンチ・コード」は、ダン・ブラウン作のフィクションです。この中では、イエスとマグダラのマリヤは結婚し、子どもが生まれました。多くの人は、これが実話だと勘違いしましたが、聖書の示す歴史はどうでしょう。主イエスとマリヤは道徳的で純粋な間柄で、ともに神の働きに携わっていました。マリヤはイエスの十字架の証人であり、イエスの復活の証人です(マタイ27:54-56、ヨハネ20:11-18)。
高揚と賞賛
墓に着いたとき、女性たちが見たものは何だったでしょう。マルコの福音書は、「あれほど大きな石だったのに、その石がすでにころがしてあった」と語ります(マルコ16:4)。この瞬間、「弟子」であるマリヤの訓練は次の段階に進みます。彼女はその朝、ある考えを持って家を出ましたが、それは完全にくつがえりました。ヨハネの福音書は、そのときの様子を次のように記します。
「 さて、週の初めの日に、マグダラのマリヤは、朝早くまだ暗いうちに墓に来た。そして、墓から石が取りのけてあるのを見た。 それで、走って、シモン・ペテロと、イエスが愛された、もうひとりの弟子とのところに来て、言った。「だれかが墓から主を取って行きました。主をどこに置いたのか、私たちにはわかりません。」そこでペテロともうひとりの弟子は外に出て来て、墓のほうへ行った。ふたりはいっしょに走ったが、もうひとりの弟子がペテロよりも速かったので、先に墓に着いた。そして、からだをかがめてのぞき込み、亜麻布が置いてあるのを見たが、中に入らなかった。シモン・ペテロも彼に続いて来て、墓に入り、亜麻布が置いてあって、イエスの頭に巻かれていた布切れは、亜麻布といっしょにはなく、離れた所に巻かれたままになっているのを見た。そのとき、先に墓に着いたもうひとりの弟子も入って来た。そして、見て、信じた。彼らは、イエスが死人の中からよみがえらなければならないという聖書を、まだ理解していなかったのである。それで、弟子たちはまた自分のところに帰って行った。しかし、マリヤは外で墓のところにたたずんで泣いていた。そして、泣きながら、からだをかがめて墓の中をのぞき込んだ。すると、ふたりの御使いが、イエスのからだが置かれていた場所に、ひとりは頭のところに、ひとりは足のところに、白い衣をまとってすわっているのが見えた。」(ヨハネ20:1-12)
マリヤは石がころがされて戸口が開いているのを見て、イエスの亡きがらはどこかに持っていかれたのだと思いました。イエスが生きていると考えることはできません。彼女はイエスが死んでその遺体が墓に納められるのをその目で見たのです。
彼女はペテロとヨハネに事の次第を伝えに行って、ふたりとともに戻ってきました。そして墓の外にたたずんで泣いていました。その数週間前から、彼女は激動の日々を過ごしたからです。マリヤは、イエスとともに歩んだガリラヤからイスラエルまで、100キロ以上にわたる最後の旅のことを思い出していたのでしょうか。さまざまな思いが交錯する中、ご自分の死を予言されたイエスを思い出したかもしれません。しかし、しゅろの日曜日の感激がそのことをもかき消したことでしょう。あの日イエスは、勝利の王としてエルサレムに入城され、人々はしゅろの木の枝を取って、出迎えのために出て来ました。そして、「ホサナ。祝福あれ。主の御名によって来られる方に。イスラエルの王に」と大声で叫んだのです(ヨハネ12:13)。彼女は婦人の庭に立って、イエスが神殿に入り、両替人の台を倒すのを見ました(マタイ21:12、マルコ11:15、ヨハネ2:15)。貧しい巡礼者たちは、聖なる都で過ぎ越しの祭りを過ごそうと、なけなしの金をはたいてやって来ました。そんな人たちに法外な値をふっかけて商売する悪い人たちを、イエスが宮から追い出すのを見て誇らしく思いました。それからイエスは宮に入って教えられました。それが宮で教えられた最後でしたが、祭司長やパリサイ人たちがイエスに詰め寄るのを見て、彼女は息を呑んだことでしょう。
イエスがベタニヤで重い皮膚病の人シモンの家におられたとき、ひとりの女性がイエスに香油を注ぎました。マリヤはここにいたのかもしれません。もしそうなら、ご自分の死を語られるイエスのおことばを、ここでも聞いたことでしょう。彼女はイエスの裁判を見ていた可能性もあります。また聖書は、十字架を負ってゴルゴダに行かれるイエスのあとを嘆き悲しむ女たちがついていったと記していますから(ルカ23:27)、彼女はここにいたと思われます。そして、ローマの兵士たちがイエスを十字架につけ、その御手や御足に釘を打ちつけたとき、彼女はそばにいました(ヨハネ19:23-25)。兵士のうちのひとりが、イエスのわき腹を槍で突き刺し、血と水が流れ出たとき、彼女はそこにいました(ヨハネ19:34)。全地が暗くなり、地が揺れ動き岩が裂け、墓が開いたとき(ルカ23:44、マタイ27:51-52)、彼女はそこにいました。マリヤは他の女たちと十字架のイエスを見つめていました。七つの悪霊から自分を救ってくださったのに、イエスがご自身を救うことはできないかのようでした。マリヤはイエスが死んでいくのを見たのです。
注)イエスは12人の男たちを弟子にされました。しかし、十字架のもとにいたと聖書に記録されている弟子はヨハネだけです。対照的に女性たち、最低3人は十字架のもとにいました。そのひとりはマグダラのマリヤです。
激動の一週間でした。「ホザナ!」と叫んでいた人たちが、数日後に「十字架につけろ!」とわめく姿が目に浮かび、マリヤは胸をえぐられる思いでした。数日来の感情の激しい起伏に疲れ果て、彼女は墓の前に立ちすくんでいました。そして、イエスは殺されただけでなく、死んでもなお痛めつけられるのかという思いで打ちのめされそうでした。イエスの亡きがらは持ち去られてしまった…。これこそ最後の一撃でした。マリヤの絞り出すようなすすり泣きは、彼女の希望が粉々に砕かれたことを物語っていました。彼女は墓の外で泣きました。泣きながら、からだをかがめて墓の中をのぞき込みました。すると、ふたりの御使いが、イエスのからだが置かれていた頭と足のところに、白い衣をまとってすわっているのが見えました。聖書は語ります。「彼らは彼女に言った。『なぜ泣いているのですか。』彼女は言った。『だれかが私の主を取って行きました。どこに置いたのか、私にはわからないのです。』」(ヨハネ20:13-14)。
注)「ホサナ」という言葉は誉れと賛美を表すときに使われましたが、その中心にあるものは、救いを求める叫びです。単語の文字通りの意味は「救う」と「助け」でした。
その日の早朝、マリヤは、他の女たちといっしょに墓に来て石が除かれているのを発見しました(ヨハネ20:1-2)。女たちが中に入り、イエスのからだがないことを知って途方にくれていると、まばゆいばかりの衣を着たふたりの御使いが近くに来ました。恐ろしくなって地面に顔を伏せると、ふたりはこう言いました。「あなたがたは、なぜ生きている方を死人の中で捜すのですか。ここにはおられません。よみがえられたのです。まだガリラヤにおられたころ、お話しになったことを思い出しなさい。人の子は必ず罪人らの手に引き渡され、十字架につけられ、三日目によみがえらなければならない、と言われたでしょう」(ルカ24:5-7)。
しかし、マリヤは泣いていたので、この希望のことばを聞き逃してしまったのかもしれません。ふたりに背を向け振り返ると、ひとりの男性が立っていました。その人は、御使いとまったく同じことを尋ねました。「なぜ泣いているのですか。誰を探しているのですか」(ヨハネ20:15)。聖書は次のように語ります。
イエスは彼女に言われた。「なぜ泣いているのですか。だれを捜しているのですか。」彼女は、それを園の管理人だと思って言った。「あなたが、あの方を運んだのでしたら、どこに置いたのか言ってください。そうすれば私が引き取ります。」イエスは彼女に言われた。「マリヤ。」彼女は振り向いて、ヘブル語で、「ラボニ(すなわち、先生)。」とイエスに言った。イエスは彼女に言われた。「わたしにすがりついていてはいけません。わたしはまだ父のもとに上っていないからです。わたしの兄弟たちのところに行って、彼らに『わたしは、わたしの父またあなたがたの父、わたしの神またあなたがたの神のもとに上る。』と告げなさい。」マグダラのマリヤは、行って、「私は主にお目にかかりました。」と言い、また、主が彼女にこれらのことを話されたと弟子たちに告げた。(ヨハネ20:15-18)
悲嘆に暮れるマリヤを高揚感で満たし、証人になろうと奮い立たせたものは何でしょう。それは自分の名を呼ぶ、聞きなれたイエスの御声です。それだけで十分でした。
良い羊飼いであるお方は、この泣いている羊に向かって「マリヤ!」と、その名を呼ばれました。マリヤはそれが自分の羊飼いの声だと気付いたのです。その途端、何もかもおしまいと思えた状況が一変しました。
死んだお方がよみがえられました。七つの悪霊から自分を救ってくださったお方が、再びともにおられます。彼女は感激のあまり、イエスにすがりつこうとしました。そんなマリヤをやさしくたしなめて、イエスは「私の兄弟たちのところに行って伝えなさい」と彼女にするべきことを告げられました。瞬時に、深い悲しみの淵は歓喜の絶頂に変わりました。「先生」が生きておられます。「弟子」であるマリヤにはすべきことがあるのです。
マグダラのマリヤについて、第四番目に明らかなことは、彼女がイエスによって派遣され、主イエスの復活を伝える最初の証人になったという点です。イエスは、弟子たちに福音を伝えるという任務をマリヤに与えられました。彼女は「使徒たちへの使徒」(聖アウグスティヌスの言葉)になりました。
マリヤの目は過去だけを見つめていました。死んだイエスのからだに釘づけになっていました。生きておられるイエスだけが、マリヤの視点を過去から未来に移すことができたのです。マリヤの未来は、イエスの復活を行って伝えることでした。
今、置かれた場所で
イエスの弟子の中で、物事の捉え方を変えなければならなかったのはマグダラのマリヤだけではありません。ヨハネはもうひとりの弟子の物語を詳しく語ります。
「十二弟子のひとりで、デドモと呼ばれるトマスは、イエスが来られたときに、彼らといっしょにいなかった。それで、ほかの弟子たちが彼に「私たちは主を見た」と言った。しかし、トマスは彼らに『私は、その手に釘の跡を見、私の指を釘のところに差し入れ、また私の手をそのわきに差し入れてみなければ、決して信じません』と言った。八日後に、弟子たちはまた室内におり、トマスも彼らといっしょにいた。戸が閉じられていたが、イエスが来て、彼らの中に立って『平安があなたがたにあるように』と言われた。それからトマスに言われた。『あなたの指をここにつけて、わたしの手を見なさい。手を伸ばして、わたしのわきに差し入れなさい。信じない者にならないで、信じる者になりなさい。』トマスは答えてイエスに言った。『私の主。私の神。』イエスは彼に言われた。『あなたはわたしを見たから信じたのですか。見ずに信じる者は幸いです。』」(ヨハネ20:24-29)
イエスはマリヤとトマスに特別に現れてくださいました。マリヤには園で、トマスには鍵のかかった階上の部屋で。ふたりともイエスは死んだと思っていました。彼らの心は「過去のイエス」から離れられません。そうではないと確信するには、主が身をもって現れてくださらなければなりませんでした。
注)トマスは疑った人として良く知られています。しかし、ヨハネ11章16節の記述によると、イエスが十字架にかかる前夜、主といっしょに死のうと弟子たちに勇敢に呼びかけた人物です。
このように、目で見たり、手で触れたりできるものに頼りがちだった彼らは、信仰によって礼拝したり、愛したりすることを学ばなくてはなりませんでした。イエスが、目に見え、手で触れられる肉体をもってそばにいてくださるということに、もう執着することはできません。救い主であるお方と、別の形でつながる方法を学ばなくてはならなかったのです。
イエスがマリヤの名を呼ばれたとき、彼女はそれが主の声だと分かりました。そのようなマリヤにイエスは任務を託されます。「行って語りなさい。」トマスは他の弟子たちの証言を信じようとしませんでした。イエスはそんなトマスをやさしく叱られました。「あなたはわたしを見たから信じたのですか。見ずに信じる者は幸いです」(ヨハネ20:29)。
注)トマスは疑う人だとよく聞かされますが、私たちの中で死者の復活を疑わない人があるでしょうか。興味深いことに、イエスは怒ってはおられませんでした。トマスが後世に残した遺産は、疑いではなく偉大な信仰です。トマスは使徒として東洋で伝道したと伝えられています。
私の両親は、教会のどんな集会にも子どもたちを連れて出席しました。私たちが集っていた教会は、福音伝道に非常に熱心な教会でした。どんな集会でも、その終わりに、まだ信じていない人に決心を促すアピールがありました。
教会は毎夏、予算を組んで数人の大衆伝道者を招待し、六週間の伝道集会を催して伝道メッセージを語ってもらいました。私たちの家族は、毎晩それらの集会に出席しました。そのような環境の中で、私が8歳で伝道集会のアピールに応答し、信仰の決心をしたのもごく自然なことでした。私は前に進み出て、私の心に入ってくださいとイエスに祈りました。
しかし、素晴らしい平安の源であるはずのこのことが、私にとっては、ひどい苦しみの源になりました。それから10年間、私は惨めでした。神は、私の祈りなど聞いておられない、私を神の家族に迎えてくださらなかったのだ…私はそう信じて疑いませんでした。
メッセンジャーが誰だったとしても、教会の伝道メッセージを聞く限り、本当に救われているならば私は罪から清められていて、そのように感じるはずでした。私はそう理解していました。私には牧師や大衆伝道師が語るような、ドラマチックな救いの体験がありませんでした。こうして、自分はまだ救われていないと考えるようになりました。
子どもからティーンエイジャーになるまで、私は苦しみの中祈りつづけました。神に赦され、神の子どもとされた、とはっきり分かる体験を自分もしたいと思いました。救いの体験は人によってさまざまだ、ということをまだ知らなかったのです。
マグダラのマリヤが園でイエスに出会ったように、またトマスが鍵のかかった部屋でイエスに諭されたように、救い主と出会う人がいます。一方で、イエスがトマスに言われたように、ドラマチックな体験は何もなかったけれど信じて祝福される人もいます。私がこのことをおぼろげながらも理解できるようになったのは、大学生になってからでした。牧師と結婚し、宣教師となって働くようになると、そのことはなお一層よく見えるようになりました。神は一人ひとりをそれぞれに取り扱われます。ご自分の羊をそれぞれの名前で呼ばれます。私たちが神といっしょに人生を歩むとき、そこに何が必要なのか、どこが変わらなければならないのか、神は一人ひとりをよくご存じです。
弟子になるとはそういうことです。前に進んでいけるという具体的な手ごたえがあってもなくても、信じることを学ぶ、つまり、信頼を学ぶことです。神の私たちに対する御業は、劇的な体験を伴うかもしれないし、気づかないほど静かなものかもしれません。どちらにせよ、慈愛に満ちあふれた王である神が、私たちに最善を計らってくださる…私たちはそう神を信頼することを学んでいかなければなりません。
神はあなたの人生にどのように関わり、どのように働きかけられましたか。神について学んだことが、あなたをどのように変革しましたか。神はどのようなお方でしょうか。あなたの内にどのように働かれ、また、あなたを通してどのように働かれていますか。こういったことをあなたはどれくらい理解していますか。また、その理解は深まりつつありますか。これらの質問に対するあなたの答えが、弟子としてのあなたの姿を映します。
今から2千年前のイスラエルで、女性も男性と同じように世の救い主の弟子でした。彼女たちはイエスにつき従い、イエスの教えに耳を傾け、イエスから学び、イエスに仕えました。
今、イエスは人間の肉体をもってこの世界に住んではおられません。あの時代のように、イエスを目で見、手で触れることはできません。あの人たちのように、イエスに助けていただくことはできません。私たちは、「見えるところによってではなく、信仰によって歩む」(第二コリント5:7)ことを求められてきました。それでも、私たちがイエスの弟子であることは、当時の弟子たちと同じようにリアルな現実です。私たちには信仰の歩みを導く聖書があります。支え合い、間違いを正し合えるクリスチャンの交わりがあります。
私たちは小学校では算数を学びましたが、中学になると数学にステップアップしました。まず足し算を学び、次に引き算、それから九九を学んで分数、そして百分率を学びました。それから方程式を学んで、定理や証明を学びました。こうやって前進してきたので、今では家計簿をつけられますし、銀行で働く人や宇宙物理学者になる人もいます。この種の学びはすべて良い目的のためです。
イエスは先生の中の先生、師匠の中の師匠です。私たち一人ひとりに、それぞれが学ぶべきことを、それぞれにふさわしい方法で学ばせてくださいます。同じ人生を経験する人は誰もいません。今あなたの置かれた場所に導かれたのは、イエスご自身です。イエスはその場であなたに働き、あなたを取り扱われますが、その目的はいつも同じです。イエスの目的は、「神を知らない」から「神を知っている」、そして「娘(または息子)として、神と深く関わっている」というように、あなたを前進させることです。信仰の無い人から信仰のある人へ、そして、信仰があるだけではなく、生きて働かれる神を信頼してゆるがない人にステップアップさせようと、私たちに働かれます。つらいときは、神が私を取り扱っておられると考えるべきです。自分に対する新しい見方や、人生の目的に対する新しい見解を持てるようになるためです。神は、困難な状況をそのように捉えなさいと教えておられます。
私たちは日々、神のもとで学ぶ人として人生を歩みます。このようにして、何が良くて何が悪いのか、その区別がつくようになります。私たちは成熟を目指して歩みつづけます。
マグダラのマリヤ 見るところによってではなく信仰によって歩む
女性は自分について、また自分の人生についてどのように考えているでしょうか。メリー・ベレンキーたち研究者の「Women’s Ways of Knowing (女性の知識習得法)」は、重要な研究だと言われています。研究者たちはリサーチの結果、女性の「知識を得る」という活動には5種類の方法があるとわかりました。そのひとつは「受信知識 received knowledge 」と呼ばれるものです。すなわち、誰かから聞いたので知っているという知識です。女性の大多数は、大量の受信知識を持っています。すなわち、自分で考えたり発見したりしたわけではないけれども、「信頼できる情報源から得た」たくさんのことを事実として受け入れています。
女性は「知って」います。良い店、良い医者、良い学校、良い教会…〇〇の賢い使い方や〇〇を安く手に入れる方法…聖書66巻の名前もすべて知っているかもしれません。女性は、この種の「知る」という行為に、人生の多くの時間を費やします。
驚くべきことに、多くの女性はこの「知る」という行為を、「他の誰かから情報を得ること」に限定しています。彼女たちは自分以外の「信頼できる情報源」に目を向けます。そして、その「師匠」に人生のあらゆるアドバイスを仰ごうとします。インテリアや小物、服装やヘアースタイル、家計の節約方法、幼児教育、塾や学校、医療、芸術やスポーツなど、女性の持っている情報は決して少なくありません。しかし、彼女たちは与えられた情報こそが「本物」だと思って、それを多大に信用します。
ところが、このような人に転機をもたらす事態が起こります。例えば、信頼していた「師匠」に裏切られたり、失望したり、ふたりの「師匠」の意見が正反対で戸惑ったり、という事態に遭遇します。
与えられた情報を吟味せずに受け入れることをやめて、別の「知り方」や「考え方」を身に着けるようになっていくきっかけは、大抵の場合、対立や失望、あるいは大失敗などです。
もう一度「学校」へ
人はやむを得ない状況に追い込まれないかぎり、自分にとって心地よいと感じるレベルの学び方に満足しがちです。一方、学生時代に最も恩恵を受けたのは、考えさせられる授業でした。そこには、生徒が教科書や板書を暗記するだけでは満足しない教師の存在がありました。
もし、私たちがすでに身につけた学び方に固執して、学び方におけるレベルアップを拒むなら、それは自分を大切にしていないことになります。とはいえ、変化を強いられる状況が好きな人はまれです。私たちは、どちらかと言えば、心地よい静けさの中にそっとしておいて欲しいと思います。しかし、それは成長への道ではありません。また、キリストの弟子として生きる道でもないのです。
私たちがクリスチャンとして成長するというのなら(つまり、神を深く知るようになるというのなら)、私たちは苦しい戦いや失望に遭遇することを覚悟しなくてはなりません。心を強くするためには、厳しい人生経験がつきものです。
イエスに従って生きるとは、人生を、そして自分自身を、今までとは違った目で見る余地を常に残しながら歩んでいくことです。イエスは先生の中の先生、師匠の中の師匠です。イエスは、画一的な教育はなさいません。実際、相手に合わせて教え方を変えておられます。出来の良い生徒だけを選ぶこともなさいません。むしろ、他の教師ならば見向きもしなかったであろう人たちを、ご自分のクラスに入学させられました。そのような先生の中の先生、師匠の中の師匠から選ばれた生徒のひとりがマグダラのマリヤです。彼女はもしかすると、他のどの女性より長い時間、イエスのそばにいた人だったかもしれません。
マグダラのマリヤにとって、イエスを信じてイエスに従う歩みは、絶え間ない学びの連続でした。彼女はイエスとともに旅をしながら、多くのことを学びました。彼女が福音書に登場する最後の場面のひとつを読んでも、そこに見られるのは、もう一度「学校」に戻され、弟子としてさらに新しいことを学ぶマリヤの姿です。
マグダラのマリヤの名前は、福音書に14回登場しますが、私たちは彼女についてたった4つのことしか知りません。初めのふたつはルカの福音書8章1節から3節に記されています。
その後、イエスは、神の国を説き、その福音を宣べ伝えながら、町や村を次から次に旅をしておられた。十二弟子もお供をした。 また、悪霊や病気を直していただいた女たち、すなわち、七つの悪霊を追い出していただいたマグダラの女と呼ばれるマリヤ、 ヘロデの執事クーザの妻ヨハンナ、スザンナ、そのほか自分の財産をもって彼らに仕えている大ぜいの女たちもいっしょであった。
マグダラのマリヤについて知らされている第一番目の事実は、イエスが彼女から七つの悪霊を追い出されたということです。マルコとルカのふたりがこの事実を記していますが、ふたりとも、それがいつ、どこで起こったのかなど、詳細には触れていません。マグダラのマリヤと呼ばれているので、このマリヤがマグダラ出身であったことは分かります。マグダラはカペナウムから5キロほど西の、ガリラヤ湖北西岸にある町です。そこはイエスがガリラヤ伝道をされていた地域ですから、あるときふたりは出会い、イエスは奇跡を起こして、彼女を悪霊から解放しました。
七つの悪霊から解放される…。それは、どういうことだったのでしょう。マリヤがどんな風に、また、どれくらいの期間、悪霊に苦しめられていたのかは分かりません。しかし、悪霊につかれた人はみんな、社会から見捨てられていたことは確かです。そういう人は、人間以下の暮らしを余儀なくされました。洞窟に住んだり、荒野をさまよったり、すさまじく歪んだ形相や獣のように恐ろしいまなざしで、人々をおびえさせました。この人たちは、神の被造物でありながら、サタンに破壊されつつありました。七つの悪霊に苦しめられるというのは、想像を絶する状況です。マリヤにとって、悪霊からの解放は、まさに人生を変える出来事だったはずです。捕らわれていたたましいが自由になり、こわばっていた身体の節々がゆるみ、醜く歪んでいた顔がおだやかになりました。
注)聖書は、イエス・キリストがマグダラのマリヤより七つの悪霊を追い出したと語ります(ルカ8:2)。想像を絶するような辛い精神状態が、即座に消えてなくなりました。レギオンと名乗る悪霊から解放された墓場に住んでいた男が、イエスに感謝して「お供をしたい」としきりに願ったように、感謝でいっぱいのマリヤも、イエスのそばを離れずにいたいと願いました(ルカ8:1-3, 26-39)。
私たちに分かっているもうひとつのことは、マグダラのマリヤはイエスと12弟子たちとともに、ガリラヤ全土のみならず、ユダにまで旅したということです。仮に、あなたがひどい病気に何年も苦しめられていたとします。そして、ついに優秀な医師の手で病気を治してもらえたなら、その先生のもとを去りたくはないでしょう。マリヤはイエスの従者たち一行から離れず、ともに巡回するようになりました。
私たちは、イエスと十二弟子(日曜学校で名前を暗記した人たち)は、男性だけのグループで伝道旅行をしたと考えがちです。それにはいくつかの理由が挙げられます。まず、当時のイスラエルには、信仰深い男性は人前で女性と口をきいてはいけないと教えるラビ(先生)がいました。パリサイ人は、自分の母親に道で会ったときでさえ、素通りしました。このように性別分離の徹底した社会で、男性と女性の信徒がいっしょに先生について歩くのは、あまりにも世の中の常識に馴染まない行為で、世間からの信頼を得にくかったでしょう。その上、律法は、月経の期間、女性は汚れると宣言していました。その期間、彼女の触るものは何でも汚されたものと考えられます。女性はその間、他の人を汚さないために家の奥に閉じこもっていました。そういうことですから、巡回に女性の同伴を許すとは、自らが汚れるリスクを負うことです。なぜそんなことができるのかわかりません。
イエスに従う人たちの中に女性がいるというのは、世間からの批判を受けたのではないかと思います。また、私たちが福音書に登場する「イエスとその弟子たち」を思い浮かべるとき、それは、ペテロ、ヤコブ、ヨハネ、アンデレ、ナタナエル、バルトロマイ、ユダなどという人たちでしょう。では、イエスに従った女性たちは、どのようにして世の人たちから何も言われずに、イエスとともに旅をしたのでしょう。福音書の筆者たちは、そのことについて何も語りません。しかし、取税人と食事をしたとか、安息日に人を癒したとか、イエスの敵たちがあれこれイエスを非難しているにもかかわらず、男女間の問題については全く触れていません。ですから、イエスの一行は、世間から後ろ指を指されない方法で男女いっしょに旅をしていたと考えることができます。
注)ルカの福音書7章37節の「罪深い女」と8章2節の「マグダラの女と呼ばれるマリヤ」をつなげようとした人たちがいます。このふたりは前後して登場しますが、だからといって同一人物であるとはどこにも記されていません。聖書に明らかなことは、マグダラのマリヤは、悪霊に心も身体もかき乱される苦しみから解放されたということです。また、彼女は自分の財産でイエスの働きを支えていたので(ルカ8:1-3 口語訳、新共同訳、NIV, NKJ, TEVなどの英語訳参照)資産家だったという可能性も考えられます。
ルカの福音書8章は「そのほか大ぜいの女たちもいっしょだった」と語りますが、その筆頭に名前が挙がっているのがマグダラのマリヤです。これ以外、彼女の素性については何も分かりません。ある解説書には、彼女は裕福な家の出なのでイエスを支援することができたと書かれていますが、そうだったかもしれないし、そうでなかったかもしれません。「ジーザスクライスト・スーパースター」というミュージカルをご覧になった方があるかもしれません。そこにマグダラのマリヤは、「地球上で最古の職業」(すなわち売春)を生業とする女性として登場します。しかし、聖書を読むかぎり、そのような背景があったと認めることはできません。
マグダラのマリヤに関する作り話は、6世紀にローマ法王だったグレゴリウス一世が、マグダラのマリヤとイエスの足に高価な香油をぬった女性を結び付けたことに始まります。それ以来、1400年以上にわたって、さまざまな芸術家がマグダラのマリヤを官能的な売春婦として描いてきました。教会さえもが、売春させられている女性を保護する施設にマグダラの家などと名づけたりしました。マグダラのマリヤは売春婦ではありません。また、悪霊につかれたなら必ず性的に堕落するという証拠を、聖書から見つけることもできません。
第一および第二番目の明らかな事実は、1)イエスはマリヤから七つの悪霊を追い出した、2)イエスに付き従った大ぜいの人たちの中で、マグダラのマリヤは常にイエスとともにいて、最後までイエスに付き従ったという2点です。
レビ記さえも
バイブルスタディーはレビ記でした。私は正直に告白しました。ほとんど読み飛ばしたし、これ以上、皮膚病について読みたくないと。その時、友人のデーブが「その皮膚病の箇所を読んで、イエスを信じた人を知っている」と言いました。
不信仰を助けてください
こう祈った人がいました。「私の信仰はどこにあるのか。どんなに深く掘り下げても、空虚な闇があるだけだ。もし、神がおられるなら、どうか私を赦(ゆる)してください」。これが誰かを知って驚くかもしれません。あの有名なマザー・テレサです。
主が立ち止まられる時
病気の猫が私の職場近くで箱に入れられ、何日も鳴いていました。道端に捨てられていたことに、誰も気付きませんでした。しかし、道路清掃員のジュンが見つけ、家に連れ帰りました。彼は2匹の捨て犬と暮らしています。「誰にも気付いてもらえなかったからこそ、彼らを大切にしたいんだ。清掃員も同じ。誰も見ていないからね」と言いました。
心地よい眠り
悪い思い出や非難の数々がよみがえり、ソルは寝付けませんでした。心は恐怖で満たされ、じっとり汗をかいています。明日は洗礼式なのに、どす黒い思いが襲来します。イエスの救いを受け入れ、己の罪は赦(ゆる)されたと分かっているのに、霊の闘いは続いていました。その時、妻が手を取って祈ってくれました。すると、恐怖が消え、平安が訪れました。彼は起き上がり、洗礼前に話す証しを書きました。それまで出来なかったのです。その後、心地よい眠りにつきました。