夫の死後、長年の友人から手紙が届きました。「アランは、まるでヤコブ。神と格闘する人でした。今、私がクリスチャンなのは、それによるところが大きいです」。夫は生涯、自分と葛藤し、答えを求めて、神と格闘しました。神を愛する一方で、神が自分を愛し、赦(ゆる)し、祈りを聞かれるという信仰が、揺らぐときがありました。しかし、彼の人生にも祝福はあり、多くの人に良い影響を与えました。
ヤコブの人生も闘いの連続でした。兄エサウをだまして家を追われました。義父であり親戚のラバンと長年闘い、彼のもとを逃げ出すと孤立無援でした。しかし、兄との再会を恐れる中、天国を垣間見たのです。「神の使いたちが彼に現れた」(創32:1)ので、以前の夢を思い出したのでしょう(28:10-22)。さらに、夜明けまで「ある人」、すなわち、人の姿をした神と格闘し、そのお方に「イスラエル」と名付けられました。「神と、また人と戦って、勝ったから」です(32:28)。神は、そんな状況にもかかわらず、いや、むしろそんな状況だったからこそ、ヤコブと共におられ、彼を愛されました。
誰もが葛藤を抱えていますが、独りではありません。神は、試練の中を一緒に進まれます。神を信じる人は、愛され、赦され、永遠のいのちが約束されています(ヨハ3:16)。神にしっかりつかまりましょう。
神と格闘したことがありますか。神が共におられることは、葛藤の中にあってあなたをどう慰めてくれますか。