妻を亡くした後、フレッドは月曜日に仲間と朝食をとることで、悲しみを乗り越えられると思いました。その交わりは楽しかったので、気持ちが落ち込むと、次の集まりを考えるようにしました。その店の角のテーブルは、彼にとって、悲しみから解放される安全な場所でした。

ところが、その集まりはやがて解散しました。メンバーが他界したり病気になったりしたのです。その空虚感は彼を若い頃に出会った神に向かわせました。フレッドは言います。「今は1人で朝食をとりますが、イエスが共におられると意識するようにしています。そして、この食堂を出ていくときも、週の残りの日々も、独りではありません」

詩篇の作者は「私の避け所……私が信頼する私の神」(詩91:2)と語ります。フレッドは、彼と同じく、神の臨在の中にある安らぎを知りました。安全な場所とは物理的な場所ではなく、信頼できる神の臨在だと分かったのです(1節)。困難な日々に独りで立ち向かう必要はありません。神の守りと助けは保証されています。神を信じて頼るなら、神は応えてくださり、共にいると約束されています(14-16節)。

あなたにはつらいときに行ける安全な場所がありますか。それはなくなるかもしれませんが、神は永遠におられます。あなたが行くのを待っておられます。神は真の避け所です。