誘惑から目を離す
スタンリーは自由なので個人タクシーの運転手は性に合うと言います。始業・終業の決まりはなく、どこに行ったかを誰かに報告する義務もありません。ところが皮肉にも、それが最も難しい点だと言います。「だって、不倫しようと思えば簡単にできるから。毎日、いろいろな客を乗せるけれど、妻を含めて、僕の居場所を把握できる人はいないのだから」と。この誘惑に抗うことは容易ではなく、仲間の多くが屈してしまったと言います。「私が抑止できるのは、神が何と思われるか、妻がどれほど傷つくかと思うからだよ」と語ります。
クリスマス・スピリット
クリスマス祝会を教会で催し、外国の文化で祝いました。私はダラブッカ(打楽器)とウード(弦楽器)の音に合わせて楽しく手をたたきました。バンドは中東の祝歌「レイラット・アル・ミラド」を演奏しました。その意味は「降誕の夜」です。その歌詞は、クリスマスの心は人に仕えること、喉の渇いた人に水を差し出し、泣いている人を慰めるように、と教えます。
御心を求める祈り
キリストを信じて間もなかったある日、デボーションのみことばは「求めなさい。そうすれば、与えられる」(マタ7:7)でした。そして、神に求めるべきことは、自分の願いを御心に沿わせようとする意思の力だ、と解説されていました。神の御心が成るように本気で願うことで、それは私の願いとなり、必ずかなえられる。これは私には新しい概念でした。私は御心が自分の人生に成されるように祈りました。
賢者ソロモンが教える!AI時代に生きる聖書の知恵 ~こどもとおとなが、スマホ・AIを使いこなすために~
小中学生に1人1台ずつタブレットなどデジタル端末が学校から貸与される時代です。公園や電車の中、ショッピングモール、イベント会場、教会、家庭の食卓でも、スマホにくぎ付けの人たちを見かけます。
デジタルデバイスでは時間や場所を選ばず、ありとあらゆることができます。調べ物や家族とのやりとりはもちろん、ゲームに没頭したり、動画を見たり、音楽を聴いたり、SNSで友だちや有名人の投稿をスクロールしたり。新しい知識の獲得、日常的なコミュニケーション、社交や気晴らし……。今日では「タップ」と「スワイプ」だけで事足ります。
デジタル機器は利点が多く生活に欠かせないものになりつつありますが、デメリットもあります。例えばスマホ依存やネット依存の低年齢化が指摘されていますが、それは子どもだけの課題ではありません。
ことばが見つからないときに
ひとりの人間として、悲しむ人の支えになるべきときがあります。傷口に塩をぬるようなことをせずに、そっと手を差し伸べるべきときがあります。慰めや励ましの言葉が必要な人に何を言い、何を言うべきでないか、分かっているでしょうか。ヨブ記1~6章から共に学びましょう。
命が現れた
世界の目は、1986年、現在のウクライナにあるチェルノブイリ原子力発電所にくぎ付けになりました。当局は大惨事を避けようと努力しましたが、高レベル放射性物質の破片から致死量のガンマ線が放出され続け、処理用のロボットを次々と破壊しました。ついに「バイオロボット」、つまり人間が作業に従事させられました。何千人もの英雄たちが「チェルノブイリの清算人」となり、90秒交替で、危険物質を処理しました。彼らは科学技術では不可能なことを危険を冒してさせられたのです。