
イエスに目を留める
高速道路の出口が近づいてきたので、車線変更をしようと、ジューンは隣を走る灰色の車を横目で見てアクセルを踏みましたが、その車の運転手も速度を上げてきました。しかし、ついに前に割り込み、バックミラーを見て、勝利の笑みを浮かべました。その時、高速の降り口を通り過ぎたと気付いたのです。彼女は苦笑して「勝ちに執着しちゃって、降りれなかった」と言いました。

ことばが見つからないときに
ひとりの人間として、悲しむ人の支えになるべきときがあります。傷口に塩をぬるようなことをせずに、そっと手を差し伸べるべきときがあります。慰めや励ましの言葉が必要な人に何を言い、何を言うべきでないか、分かっているでしょうか。ヨブ記1~6章から共に学びましょう。
神の広い所
神学者トッド・ビリングスは、不治の血液のがんだと診断され、死期について、遠くで瞬く灯りが消えていくようだと語りました。「私には1歳と3歳の子どもがいます。この先の10年か20年は、彼らの成長を見守る『広い所』だと考えていました……。しかし、この病気によって、……狭められています」

低くされている者を愛す
教会に新しい家族が訪れました。私は車いすの少女に膝をついてあいさつし、私の介助犬カリーを紹介し、彼女のピンクのメガネと靴を褒めました。少女は言葉を話しませんが、その笑顔から、この出会いを喜んでいると分かりました。

キリストの逆説
アイザック・ワッツの讃美歌『栄えの主イエス』の歌詞に、「世の富 誉れは 塵(ちり)にぞ等しき」という逆説的表現があります。これはオクシモロン(矛盾語法)という修辞技法で「恐ろしく美しい」とか「公然の秘密」のように、矛盾する単語で他方を修飾するものです。ワッツは、この技巧を用いて深い真理を表現しました。