数メートル先にいる父娘が、カードを落としました。私は会社に遅刻しそうだったので、自分たちで気付くだろうと心に言い、無視しようとしました。しかし、そんな気配はありません。結局、良心の呵責(かしゃく)に耐えられず、カードを拾って追いかけました。すると、彼らは大喜びしたのです。私もひどくうれしくなって、「こんなささいなことで、なぜこんなにテンションが上がるのだろう」と不思議でした。

人に親切にすると「幸せ物質」といわれるホルモンが分泌されるそうです。人は善い行いをすると良い気分になるように造られています。驚くには当たりません。私たちは、良きお方なる神が、ご自分に似せて造られた生き物ですから。

エフェソの信徒への手紙2章10節はこう語ります。「わたしたちは神に造られたものであり、しかも、神が前もって準備してくださった善い業のために、キリスト・イエスにおいて造られたからです。わたしたちは、その善い業を行って歩むのです」

他人を祝福することは、人の存在の目的の一つです。上記の御言葉は、善行を推奨するだけでなく、神の被造物なる人の本質を反映しています。大それた慈善を常に求められてはいません。日々の生活の中で、小さな親切を行うことで、満足という報酬を得られるだけでなく、神に造られた目的を果たし、神を喜ばせることができます。