神の御子
兄のスコットが、最近、父の第二次世界大戦中の従軍記録を入手したので、それを読んでみましたが、何ら驚きも衝撃もありませんでした。それは単なるデータの羅列です。無意味ではありませんが、父という人について、新しいことは何も分かりませんでした。

栄光なる啓示
中世の神学者トマス・アクィナスは、神を追い求めて生きたいと願って苦難を耐えました。彼はドミニコ会という清貧な生活と学びと説教に専念する修道会に入りたかったのですが、それに反対する家族に1年間監禁されました。生涯を懸けて聖書と被造物を研究し、100巻近くの著書を記した後、神を強烈に体験しました。そして、今まで自分が書いてきたものは、まるで藁(わら)くずのようなものだ。このような栄光を体験したからには、もう書くことはできないと語り、その3カ月後に亡くなりました。

神に委ねる
ブライアンが心臓病の専門医の診察を受けている間、友人は待合室で祈っていました。1時間以上経って戻ってくると、手にした書類の束をテーブルに広げて深刻な病状と治療の選択肢について語りました。二人は祈りのポイントを話し合い、知恵を求めて共に祈りました。そしてブライアンは「何があっても僕は神の御手の中にある」と言いました。

支援の手
黒人や移民が、カリフォルニア州のコロナドで不動産を借りたり購入したりすることは、1900年代初頭、法律で禁止されていました。奴隷出身の黒人男性のガス・トンプソンは、その差別的な法律ができる前に土地を買い、下宿屋を営んでいました。1939年、ガスはアジア系の家族にその家を貸し、最終的には、その土地を彼らに売りました。約85年後、そのアジア系の家族は、その地を売却し、その大部分をサンディエゴ州立大学の黒人学生センターに寄付し、ガスと妻エマの名前を冠するように働きかけました。

後悔のない人生
看護師のブロニー・ウェアは、終末期の患者と過ごす中で、「もし、もう一度やり直せるとしたら、何をどう変えますか」と尋ねたそうです。すると、多くの人に共通する後悔がありました。そのトップ5は、次のとおりです。(1)自分に正直に生きる勇気があればよかった。(2)あんなに働き過ぎなければよかった。(3)自分の感情を表に出す勇気があればよかった。(4)友人関係をもっと大切にすればよかった。(5)もっと自分の幸せを考えればよかった。若くて元気な時には気付かなかったり、実現できなかったりしたことかもしれません。