私が行く銀行の企業理念は一言でいうと「礼儀正しく」ですが、その理念がスタッフの対応に現れているとすがすがしい気分になります。
どんな人にも礼儀正しいことは、世知辛い世の中で意味を持ちます。使徒パウロは、「だれをもそしらず、争いを好まず、寛容で、すべての人に心から優しく接しなければならない」(テト3:2)と人々を指導するようにテトスに書き送っています。この「優しく接する」は、「礼儀正しい者となる」(新改訳)や、「どこまでも柔和な態度を示す」(口語訳)とも表現されています。
人に対する接し方を見れば、相手をどう思っているか分かります。神の姿を映す人だと認識しているかどうかです。C・S・ルイスは著書『栄光の重み』の中で、どうでもよい人などいないと語ります。永遠の観点から議論し、私たちが、笑い合ったり、一緒に働いたり、結婚したり、優越感を感じたり、不当に利用したりする相手は、永遠の栄華に生きる人か、永遠の恐怖に生きる人、そのどちらかになり得ると語ります。神の臨在を永遠に享受する人か、神と永遠に切り離される人のどちらかです。私たちも、自分が出会う人たちは、神の姿を映す人と認識して、丁寧に接することができるように、御霊の働きを受け入れましょう。
あなたの意思の疎通は、礼儀を欠いていると、どうなりますか。ぞんざいに扱いがちな人に対して、どうすれば礼儀正しくできるでしょう。