Month: 7月 2025

救い主が下さる宝

マイケル・スパークスはリサイクルショップで、米国独立宣言の複製品を2ドル48セント(400円以下)で購入しました。しかし、この羊皮紙の宣言書に不可解な点を見つけて専門家に鑑定してもらいました。すると、これが1820年に第6代米国大統領のジョン・クィンシー・アダムズが発注した200部のうち現存する36部の一つだと判明したのです。スパークスはそれを7千万円以上で売却しました。こんな宝を数百円ほどで入手したことに驚かされますが、私は子どもの頃、値段の付けられない、比類なき永遠の宝を一文も払わずに手にしました。

イエスは私の全て

米国のレスリング選手のケネディ・ブレーデスは、2024年の五輪代表となった瞬間、天を見上げて、神を賛美しました。自身の成長について質問されると、トレーニングについては触れず、「イエスの臨在を間近に感じた」と語りました。彼女はトップアスリートですが、キリストが唯一の王だと公言し、再臨を主張してはばからず、イエスを信じるように勧めます。「私が大きな成功を収められたのは、ひとえにキリストのおかげです」と語ります。他のインタビューでも一貫して、イエスが自分の全てであり、全ての良いことの源だと語ります。

栄光から栄光へ

バレリーは温暖な海沿いの町に住み、水辺を散策したり自然の写真を撮ったりしますが、大のお気に入りは日の出を見ることです。彼女は毎朝、夜明け前に起きて海岸に立ちます。悪天候の日や旅行に出ているときもありますが、それでも毎年300回以上は朝日を見ているそうです。彼女にとって、朝日は栄光の輝きであり、決して見飽きることのないものです。

祈りは心を静める

祈りは、礼拝です。私たちは祈りを通して、神を愛し、敬い、慕っていることを表します。神は、ご自身のあふれる愛を注ごうと私たちを造られました。その愛ゆえに、十字架上で御腕を広げて死に、私たちを造り変えて完成させようとしてくださいます。これらの真理に心を定めてささげる祈りは、神を礼拝することです。つまり、神こそ何よりも尊いという宣言です。神を愛するのに一番の行為です。

祈りは、信頼の表れです。どんな難題でも神を頼り切ってみもとに持っていけると確信しています。「どんなことでも、思い煩うのはやめなさい。何事につけ、感謝を込めて祈りと願いをささげ、求めているものを神に打ち明けなさい」(フィリピ4:6)とあるとおり、困りごとや悩みごとは、何でも祈ってよいのです。

祈りは、お願いです。何でも祈ってかまいませんが、お願いですから、ごねたり交渉したりして、自分の思い通りにしようとするのとは違います。友人に頼みごとをしたら、無理強いせずに返事を待つでしょう。神にお願いするときも、願いがかなうか、違ったかたちで答えがあるまで、委ねて待ちます。

祈りは、理解の助けを乞う行為です。聖書から神が語られることを会得するには祈りが必要です。祈りによって、散り散りの心が焦点を見いだし、まとまります。

祈るとき、神は私たちの心を静め、耳を傾け、慰め、教えてくださいます。そこで、私たちは神を愛し、礼拝することを学びます。

“Seeing God”(神を見る)by David Roper
© 2006 Discovery House Publishers 抄訳

祈りは簡単ではありません。弟子たちもイエスに祈り方を尋ねました。今月は、有意義な祈りの習慣を育むためのヒントや祈る理由について考えます。
【このテーマは今月の以下のエッセーでも取り上げています。】
1日 祈る愛
8日 必死の祈り
15日 イエスの祈り
22日 粘り強く祈る

祈る愛

友人のラヒムは、母親の祈りがなければ、今頃、死んでいたかもしれないと言います。以前は薬物常用者で、麻薬密売で刑務所に収監されたこともあります。彼はカフェで、母親の祈りに助けられたと話してくれました。「すごく悲しませたのに、母は愛し祈り続けてくれた。僕はひどい状態で、母の祈りがなければ、あんなものでは済まなかっただろう」