独りではない
私は長年、さまざまな理由で孤独と闘う人たちの祈りの友になってきました。家族の訪問もない高齢者施設で暮らす人、独りぼっちの自宅が嫌で毎日出歩いている人、悩みを打ち明けられる相手がいない牧師、世間から孤立している家のない人などです。

とこしえに真実なお方
米国史上最悪の森林火災の一つと言われるのは、ウィスコンシン州北東部のペシュティーゴ火災です。有名なシカゴ大火の同夜(1871年10月8日)に発生したせいであまり知られていませんが、シカゴ大火より数百人以上多くの死者を出しました。ペシュティーゴは急成長中の製材業の町で、木造建築が建ち並んでいました。猛火は突風にあおられ、1時間も経たない間に町を焼き尽くしました。後に残ったのは焦げた陶器やレンガ窯などでしたが、その中に何と小さな開いたままの聖書があります。表紙は焦げ、熱でページは炭化していますが、原型を留めています。それは現在、市内の博物館に展示されています。

委ね、平安を得る
側面に「神に委ねる!」と書かれた箱は、祈りが書かれた紙で満杯です。ケイラは渋い顔で新しく書いた紙を押し込むと、箱の中の紙に目を通しながら深いため息をつきました。「どうしたら神に届いていると確信できるかなあ」と友人のシャンテルに言いました。シャンテルは聖書を見せて「神は約束を守られると信じて、祈りを書いたり、取り出して読んだりしたら、そのたびに、神様に委ねるの」と応じました。

神の家族
混雑した駅のホームで若い男性の体が列車に押し付けられていました。1863年、ジャージー・シティでの出来事です。この状態で列車が動き出してしまったので、男性はホームと列車の間に落ちかけました。そこにいたエドウィンはとっさに彼をつかみ引き上げました。

あわれみと正義が出会うとき
誰かに話したほうがいい? 親や学校に相談する? マンハッタンの進学校に通う少年は悩んでいました。以前は親しかったクラスメートからいじめを受けるようになったのです。学校でもSNSでも誹謗中傷されました。
彼は、勉強に専念し、いじめのことは考えないようにしました。また、加害生徒が罰せられることは望みませんでした。停学などの処分になっても、いやな気持ちになるだけで、お互いのためにならないと思ったからです。
事態に気付いて心を痛めた教師は、「修復的正義」という方法を試そうと提案しました。
元は仲の良かった2 人に対話を促すのです。両者共に思っていることを正直に話し、相手の言い分を聞きました。最終的には加害生徒が謝罪し、和解に至りました。
この関係修復は、元友人へのあわれみと慈しみで実現しました。聖書は、この無類の贈り物を描きます。神は正義のさばきを下されますが、同時にあわれみも与えられます。
イエスは十字架上でこれらを同時に提供されました。私たちの罪のために、ただ一度ご自身を献げられたことにより(ヘブライ10:10)、正義の神を満足させる一方で、私たちにあわれみ慈しみを施されたのです。
イスラエルの民もあわれみによる猶予を頂きました。「焼き尽くす献げ物」「幾万の油の流れ」(ミカ書6:6-7)などを神にむなしく献げようとする民に、預言者ミカは告げました。「人よ、何が善であり 主が何をお前に求めておられるかは お前に告げられている。正義を行い、慈しみを愛し へりくだって神と共に歩むこと、これである」(8 節)
正義を求めるほど熱心にあわれみを施そうとしていますか。あわれみは、神聖な贈り物。犠牲を伴っても渡す価値のある贈り物です。
あわれみと正義はどちらも人間関係に欠かせない要素です。
【このテーマは今月の以下のエッセーでも取り上げています。】
1日 人生は不公平か
8日 弱者に寄り添う
15日 神の品性
22日 神の心を反映する