名作映画『市民ケーン』は、新聞王として富と名声を築いたチャールズ・フォスター・ケーンの生涯を描いています。快楽を追い求め、数々の芸術作品を集めた大豪邸と庭園を建造する、コヘレトの言葉2章4-11節をほうふつとさせるような物語です。
ケーンが追い求めたのは、大物と呼ばれる他の人々と同様、世の人の称賛でした。政治家になろうと大金を投じ、失敗すると不正選挙だったと言って名誉を守ろうとしました。妻を歌手にすべくオペラハウスを建て、彼女の実力不足が明白になっても無理強いしました。これもまたコヘレトの言葉の反映です。富は、追い求めて独占しようとする人に害を及ぼし(5:10-15)、「食べることさえ闇の中。悩み、患い、怒りは尽きない」(16節)生涯を送らせます。ケーンも豪邸の中で独り、怒りながら人生を閉じました。
この物語は、ケーンが心の空洞を埋めようとしていたと示唆して終わります。それは子どもの頃に失った親の愛でした。この結末にコヘレトは同意するでしょう。神は「永遠を思う心を人に与えられ」(3:11)たので、神と共にあってこそ人生は楽しめます(2:24)。ケーンの話は、私たちに対する警告です。富や権力で心を満たせると考えてはなりません。私たちの心を愛で満たすお方を慕い求めて心を満たしましょう(ロマ5:5)。
あなたの中にケーンのような姿勢はありませんか。あなたには、神に満たしていただくべきどんな心の渇きがありますか。
私たちの心を愛で満たすお方の視点で自分を見るなら?