駆け出し記者の頃、「記者証」の威力を実感しました。名前と社名を記した写真つきの証明書は、イベントの際に有名スポーツ選手などにインタビューする特権をくれました。しかし、救われた後、私はスポーツやキャリアが自分の偶像だったと気付きました。神の召しに従って転職し、記者証は失いましたが、祈りを通して神の玉座に近づく特権を意識するようになりました。
ヘブライ人への手紙は、大祭司はイスラエル人の中でもアロンの子孫から選ばれ、民を代表して、神との関係を仲介すると語ります。彼は、年に1度、神殿の至聖所に入れる唯一の人でした(ヘブ5:1)。その目的は、己と民の罪を贖(あがな)う「罪のための供え物やいけにえを献(ささ)げる」こと。なぜなら、彼もまた死ぬべき人間だからです。
その後、完全な大祭司、キリストが来られました。このお方が十字架で死なれた時、神殿の幕は引き裂かれ、神と人の間に存在した隔ての壁が取り除かれました(マタ27:51)。
私たちの贖い主は、私たちを神と和解させてくださいました。そのおかげで、私たちは恐れず、遠慮せずに、神に祈れます。聖書は「だから、憐れみを受け、恵みにあずかって、時宜にかなった助けをいただくために、大胆に恵みの座に近づこうではありませんか」(ヘブ4:16)と語ります。
神の玉座の間に近づけるとは、何という特権でしょう。私たちは祈りの中で神と対話できるのです。
あなたはどうやって祈りの回数を増やしますか。もっと祈れない要因は何でしょう。