神は本当にこんなに大勢の心配ができるのかしら。初めての海外。駅の雑踏の中で、そんな疑問がふと頭をよぎりました。10代の私は、世界の大きさに圧倒されていました。自分がちっぽけに感じられ、こんなに多くの人々を神は本当に愛せるのだろうかと思いました。

私同様、旧約聖書の預言者ヨナも神の愛の壮大さを分かっていませんでした。彼は紆余(うよ)曲折の末、神に従い、残忍な迫害者、アッシリア軍の首都ニネベに行き、人々に悔い改めを説きましたが、彼らが赦(ゆる)されることは望みませんでした。しかし、ニネベの人たちは悔い改め、その結果、ニネベは滅びませんでした。ヨナは怒りました。そんなヨナのために、神はとうごまの木で日陰を作ってくださいました。しかし、その木が取り去られると、ヨナは以前にも増して怒り、不平を言いました。すると、神はこう言われました。「お前は、……このとうごまの木さえ惜しんでいる。それならば、どうしてわたしが、この大いなる都ニネベを惜しまずにいられるだろうか。そこには、十二万人以上の右も左もわきまえぬ人間……がいるのだから」(ヨナ4:10-11)

神は偉大なお方なので、神から遠く離れている人たちさえも憐(あわ)れまれます。神の愛は、人間の根源的な問題を解決するために、イエスの十字架と空の墓を実現されました。神の偉大さは神の善良さの中に現れ、私たちをみそばに引き寄せられます。