医師のンティジミラは、看取りの医療を母国ルワンダの貧困地域で行いなさいと、神に言われたように感じました。同僚たちは、あの場所で終末期医療をする価値はない、「彼らはすでに希望のない人たちだから」と言いました。しかし、患者とその家族にとっては、彼の存在自体が希望でした。ンティジミラは、イエスの死と命が、死生観を変えると確信していました。主の死が真の命の源だからです。彼の活動は、この確信を土台にしていました。

使徒パウロは、イエスが「死を滅ぼし、福音を通して不滅の命を現してくださ」(Ⅱテモ1:10)ったので、災難の受け止め方が変わったと証しして、処刑が想定される身でありながら(2:9)、ゆるぎない忠誠心で福音宣教を続けました(2:10)。その理由は復活に対する信仰です。なぜなら「キリストと共に死んだのなら、キリストと共に生きるようになる。耐え忍ぶなら、キリストと共に支配するようになる」(2:11-12)からです。

キリストと共に死ぬとは、最期の時、イエスが傍らにいてくださる、というだけのことではありません。パウロは、バプテスマが象徴するように、イエスの死と復活の命の内に、キリスト者は、キリストの霊と一つになると説明しています(ロマ6:4-8)。キリストが私たちの内に生きておられるので、恐ろしい死に直面しても、イエスのために生き、イエスの証し人になることができます。