
キリストの教会
隣人のスーダン人の家族と一緒に表で遊んでいた時のことです。彼らの隣家から歌声が聞こえてきました。数人の人が庭に集まって礼拝をしているようです。スーダン人の若い母親が好奇心を示したので二人で近づくと、彼らは私たちを招き入れてくれました。すると、若い男性が水を張った浴槽のようなものの脇に立って、罪が赦(ゆる)され、これからはイエスに従っていくと語っていました。隣家の庭で救いの証しを聞く機会などめったにありません。この時彼らは、教会名はなくても、まさに教会でした。

惜しみなく与える
私たちは以前、政変で難民となった人々を教会ぐるみで支援しました。数名の教会員が自宅の部屋を提供しましたが、決して大きな家に住んでいる人ばかりではありませんでした。

正直に、具体的に
木曜日の夕方、車の中でブレンダとエディの恒例の会話が始まります。「どこで食べる?」「どこでもいい」。「じゃあ、ウインドミルはどう?」「ダメ。そこ以外」。「じゃあどこにする?」「だからどこでもいいってば!」

神は見守られる
夫が脳卒中で倒れ、サンの生活は激変しました。身体介護に加え、彼の感情の起伏を耐え忍ばなければなりません。彼女は17年間、夫を献身的に介護しました。しかし、彼が転倒して足腰が弱り、負担が増すと、もう限界でした。サンは介護うつになって「信仰がなくなったのか、もう神が見えない」と打ち明けました。
