ほとんどの人がジョージ・チェイスを避けていました。入り江に近い森の中の掘っ立て小屋に住んでいて、体臭がきついので、家に風呂がないことは明白でした。
ある日、ハリケーンによる大波で、海岸沿いの高級住宅が何軒も流されました。生存者たちは身を寄せる場所を探し、11人が、びしょ濡れでジョージの小屋にたどり着きました。ジョージは、持っていた全ての水や牛乳、しょうが茶を、寒さに震える彼らに与え、寝場所を提供しました。町の人々のジョージに対する評価は、1938年のハリケーンの後、一変しました。
人を外見で評価するのは、悲しいかな、私たちの性(さが)です。イエスに関しても同様です。古典の絵画に描かれているような、神々しく美しいイエスを思い浮かべるのではないでしょうか。しかし、預言者イザヤはメシアについてこう述べました。「見るべき面影はなく 輝かしい風格も、好ましい容姿もない。……彼はわたしたちに顔を隠し わたしたちは彼を軽蔑し、無視していた」(イザ53:2-3)。しかし、イエスは、全てを私たちに与えてくださいました。ご自分の命さえ与えてくださったのです。「彼が担ったのはわたしたちの病 彼が負ったのはわたしたちの痛みであった」(4節)
この世界で共に生きる人の内にある人間性を見逃すなら、それは大きな悲劇です。その上、侮辱されたお方の神性を見逃すなら、どれほど悲劇的なことでしょう。
相手の外面ではなく中身をどうやって見ますか。イエスの姿をどんなふうに想像しますか。