アデレード・ポラードのことは、あまり知られていません。彼女が脚光を望まない、謙遜な神のしもべだったからです。40歳の時、アフリカ宣教に召されていると強く感じましたが、扉は閉ざされ、大いに落胆しました。しかし「粘土が陶工の手の中にあるように、……お前たちはわたしの手の中にある」(エレ18:6)の御言葉を思い出しました。こうして、聖歌295番「成したまえなが旨」を書きますが、その中に「われはただ汝が手のうちにある土くれ」という歌詞があります。

預言者エレミヤは「陶工は粘土で一つの器を作っても、気に入らなければ自分の手で壊し、それを作り直すのであった」(4節)と語ります。つまり、ご自分の良い目的のために、神は私たちを造り変えられるということです。何をすべきか、どうあるべきか、という自分なりの夢があっても、神が別の道を用意されているかもしれません。「粘土が陶工の手の中にあるように、……お前たちはわたしの手の中にある」(6節)のですから。

アデレードは、最終的に、アフリカに行きました。しかし、神が彼女を造り変えられた目的は、もしかしたら、後世に残る「成したまえなが旨」を書いて、何百万人もの人々の心を動かすことだったかもしれません。やりたいことがあるのに進めないと感じるとき、神が自分をどのような器に形作られているかを考えてみましょう。神のより大きな目的のために、御手に委ねてじっと待ちましょう。