アウシュビッツでのおぞましい体験の後、エリー・ウィーゼルは信仰を失いました。当時を思い、「愛の神よ、あなたはどこにいたのですか。……あなたを心から信じていたのに」と葛藤していました。しかし、後に、信仰を失ったわけではないと気付きました。「信じていたからこその怒りです。今もなお、神に怒っている」と。確かに、存在を信じない相手に対して怒(いか)ることはできません。
神に怒ることには抵抗があるかもしれません。しかし、聖書の登場人物は違います。預言者エレミヤは「主よ、あなたがわたしを惑わし」た(エレ20:7)、ダビデは、「いつまで、主よ わたしを忘れておられるのか」(詩13:2)、そして、ヨブは「神がわたしに非道なふるまいをし」たと怒りました(ヨブ19:6)。彼は、神に虐げられている(10:3)、自分の罪状を書いて裁判してくれとまで言いました(31:35)。彼は後に、自分の浅薄さを認めますが(42:3)、そんな怒るヨブを、神がお叱りにならなかった点は重要です。
エリー・ウィーゼルも「なぜ」の答えは得られないまま、「和解しましょう。これ以上長い離別は、絶えられない」と祈りました。世の悪に介入されない神に怒るなら、その感情を抑える必要はありません。それを吐露することは、むしろ、形を変えた祈りです。賛美のみならず怒りも持って来なさい、と言われる神に向き合うことです。
神に対して怒りを感じたのはいつですか。ヨブの物語は、感情を表に出すこと、また、苦しみをどう見るかについて、何を教えていますか。