ティムは自宅の庭で迷子の子鹿を見つけました。その後、森から出てきた鹿の群れに出くわしました。1頭の雌鹿は特に周囲に神経を尖らせているようでした。子を見失った母親なのでは、と考え、子鹿の助けを求める鳴き声をスマホで検索し再生しました。すると雌鹿がついて来たので、茂みでじっとしている子鹿のところに案内してあげました。子鹿は乳を飲み始めました。不安からの解放。母子の再会。全てはティムの思いやりのおかげでした。

しかし、御民を思いやる神の気持ちはティムの比ではありません。神は恐れから私たちを解放されます。イスラエルは己の罪ゆえにバビロンの捕囚となりました。それでも、神は「わたしは自ら自分の群れを探し出し、彼らの世話をする」(エゼ34:11)と約束されました。人々は、指導者たちのせいで「ちりぢりになって」(12節)いました。そこで神は「わたしは失われたものを尋ね求め、追われたものを連れ戻」(16節)すと言われたのです。

キリスト者は、自分の群れを探し出し救出された、至高の神の慈しみの御業を知っています。御子イエスは「良い羊飼いは羊のために命を捨てる」(ヨハ10:11)と言われました。私たちが罪にまみれて己を失い囚われ人となっていた時、神は、大きな犠牲を払って、私たちを救われました。自由の尊さを確認しましょう。私たちを解放してくださった良き羊飼いをたたえ、祝いましょう。