トニ・モリソンの小説にネルとスーラが登場します。二人は幼なじみでしたが、スーラは、自分勝手が募ってネルの夫を誘惑し、「私のことは考えなかったの?」というネルの問いに答えようともしませんでした。
友だちに裏切られるつらさは、経験した人なら分かりますが、格別です。ダビデ王は、陰謀によって「災いと労苦」に苦しみました。国には不法と争い、詐欺と搾取がはびこりました(詩55:11-12)。最悪なことは、「わたしを嘲る者が敵であれば それに耐えもしよう。……だが、それはお前なのだ。わたしと同じ人間、わたしの友、知り合った仲」(13-14節)と述べるように、誰が首謀者かという事実です。
こういう裏切りに何ができるでしょう。ダビデは己の気持ちを神に訴え(17、21節)、裏切り者に天罰が下るように祈りました(16節)。一方、イエスは、裏切り者ユダに対して、「友よ、しようとしていることをするがよい」と言われ、報復はありませんでした(マタ26:49-50)。
被害者が、和解の門戸を開き続け、加害者が長い期間、悔い改めの誠意を示し続けたなら、関係修復の可能性はゼロではありません。しかし、スーラに自責の念はないので、ネルは絶交すべきでした。友人を大切にしましょう。信頼を損なう言動をしてしまったら、すぐに謝罪など、関係修復に努めましょう。
ネルは、何もなかったかのように、スーラと友人でいてはいけません。その理由は何でしょう。イエスのユダに対する対応は、私たちが、和解の門戸を閉ざさないために、どのように役立ちますか。