生きるためのふたつのルール
◆ Ⅰ列王記12-13
◆ ルカ22:1-20
律法全体と預言者とが、この二つの戒めにかかっているのです。―マタイ22:40
いくつもの規則や「〇〇であるべき」という暗黙の掟で、がんじがらめだと感じたことはありませんか。昔のユダヤ人たちは、旧約聖書の600以上の掟と、当時の宗教指導者たちが課したさらなる規定を守らなければなりませんでした。人々の心情は察するに余りあります。このような状況の中でイエスは、義を追い求めているならば、「あなたの神である主を愛せよ」(マタ22:37)と「あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ」(39節)というふたつの戒めを守ればよい、と言われました。人々は驚愕したに違いありません。
時間を止められたなら
◆ Ⅰ列王記10-11
◆ ルカ21:20-38
主の栄光が主の宮に満ちたからである。―Ⅰ列王記8:11
毎年5月が巡ってくると、うれしくて時計を止めたくなります。弱々しい新芽が、硬い土や冷たい枝に押しとどめられることなく芽吹いて、「死」が打ち破られていくのを見るからです。私の住むミシガン州に春がやってきました。たった半月の間に冬枯れの風景が、香りと彩り豊かな花に飾られた木立に生まれ変わります。春の景色や音、そして香りに飽きることはありません。時間が止まってほしいとさえ思います。
星の力
◆ Ⅰ列王記6-7
◆ ルカ20:27-47
あなたは天の法令を知っているか。地にその法則を立てることができるか。―ヨブ記38:33
ヨブのように人生の悲劇を体験し、大胆にも神に疑問を投げかけたことは、誰にでもあるでしょう。そんな私たちにとって、ヨブ記の38章は色々と考えさせられます。嵐の中から「知識もなく言い分を述べて、摂理を暗くするこの者はだれか。さあ、あなたは勇士のように腰に帯を締めよ。わたしはあなたに尋ねる。わたしに示せ」(1-3節)という神の御声を聴いたとき、ヨブはどのように感じたでしょう。ドキッとして、息を呑んだことでしょう。自分を蟻のように小さく感じたに違いありません。
ささやきの回廊
◆ Ⅰ列王記1-2
◆ ルカ19:28-48
ことば数が多いところには、そむきの罪がつきもの。自分のくちびるを制する者は思慮がある。―箴言10:19
ロンドンのセント・ポール大聖堂には「ささやきの回廊」と呼ばれる面白い現象が見られます。これはドーム型の建築物に起こるもので、あるウェブサイトの説明によると、「一方の壁に向かってささやいた小さな声が、反対側の壁に面している人にはっきりと聞き取れることから、この名前がついた」のだといいます。「音は、丸天井の巨大な曲線に沿って完全に伝えられる」そうです。つまり、クリストファ・レン卿が建築した、このりっぱな大聖堂の一方の壁に向かってあなたが座り、もう一方の壁に向かって友だちが座るなら、そのふたりは、ささやく程度の声で会話ができるのです。
素晴らしすぎて信じられない?
◆ Ⅱサムエル記19-20
◆ ルカ18:1-23
使徒たちにはこの話はたわごとと思われたので、彼らは女たちを信用しなかった。―ルカ24:11
ノール兄弟は1980年代に画像処理のソフトウェアの開発を始めました。当時、写真家はパソコンを使っていなかったので、ソフトウェア会社の人たちは、ノール兄弟は変なことをすると思っていました。このソフトは、最初「ディスプレイ」と呼ばれ、次に「イマジネーター」、最終的に「Photoshop(フォトショップ)」になりました。今日、「Photoshop」は世界中でプロの仕事にも、素人の趣味用にも使われています。「サンノゼ・マーキュリーニュース紙」によると、新しい言葉さえ作り出しました。「そりゃフォトショップ化されたね!」というのは「信じられないほど素晴らしいね!」という意味だそうです。
問題をかかえた家族
◆ Ⅱサムエル記16-18
◆ ルカ17:20-37
イスラエルの多くの子らを、彼らの神である主に立ち返らせます。―ルカ1:16
アメリカには3千万頭のオジロジカがいますが、その多くは生存の危機にさらされています。その理由は銃ではなく、人間の居住地が拡大したことによる交通事故です。ある日、前方に大きな雌鹿が車道を横切ったのが見えました。そして、道路わきに立ち止まって後ろを振り返っています。私は、なぜあんな危険なことをしているのだろうといぶかしく思いました。ところが、鹿の脇を走ったときに分かりました。彼女の視線の先には、途方にくれて母親を見つめる2匹の子鹿がいました。子鹿たちは車道の向こう側にいる母親の後を追うことができず、身を翻して森の中に入って行きました。