ちょっとしたこと
◆ ダニエル書5-7
◆ Ⅱヨハネ
慈愛の父、すべての慰めの神が……どのような苦しみのときにも、私たちを慰めてくださいます。―Ⅱコリント1:3-4
ニューヨーク市のある大学の医学部では、老人医療を専攻する学生に少し奇抜な実習をさせています。それは、老人ホームの入居者として10日間暮らすことです。そして、車椅子を操作したり、ベッドからリフトで持ち上げられたり、座ったままでシャワーに手を伸ばしたりすることがいかに大変かを体験します。ある学生は、ちょっとしたことが大違いなのだと学びました。例えば、入り口の名札を下の方につけると誰の部屋かを見つけやすいとか、テレビのリモコンを手の届く範囲内に置くとずいぶん助かる、などです。
神の名が記されている
◆ エゼキエル書45-46
◆ Ⅰヨハネ2
神はお造りになったすべてのものを見られた。……それは非常に良かった。―創世記1:31
湖畔にある友人の別荘には、何枚もの写真が飾られています。どの写真もこの家のデッキから撮った夕日ですが、はっとさせるほど美しく、四季折々の風情があります。ふたつとして同じ夕日はありません。その写真を見ていて、別の友人が言った言葉を思い出しました。夕日は、一日の終わりに記される、神の美しい署名だというのです。
イエスのなさったこと
◆ エゼキエル書37-39
◆ Ⅱペテロ2
キリストは、……私たちの罪のために死なれたこと、また、葬られたこと、また、聖書の示すとおりに、三日目によみがえられたこと、―Ⅰコリント15:3-4
以前、“WWJD”という言葉がクリスチャンの間で大流行しました。これは「イエスならどうするだろう?」という英文の頭文字です。この文字の入ったブレスレットは、多くの人にとって有益なものでした。イエスのみこころを考えて行動することを忘れないようにと意識させてくれたからです。自らの態度や決断をイエスが示された手本に照らしてみるのは、救い主に栄光を帰する生き方をしたいと思う人たちにとって正しいことです。
あなたの手には何があるか
◆ エゼキエル書35-36
◆ Ⅱペテロ1
主は彼[モーセ]に仰せられた。「あなたの手にあるそれは何か。」―出エジプト記4:2
機会を逃したときにひどく落ち込んだり、将来のことを心配したりする傾向があるなら、自分にこう質問してください。「自分のすぐ前には何があるのだろう。」つまり、今、どのような状況や人間関係が与えられているのかを考えるのです。この質問は、過去を後悔したり、未来を恐れたりすることから意識をそらし、あなたの人生にとって、神がおできになることは何かという点に立ち帰らせてくれます。