ノーと言ってイエスと言う
◆ エゼキエル書5-7
◆ ヘブル12
義を行わない者はだれも、神から出た者ではありません。兄弟を愛さない者もそうです。―Ⅰヨハネ3:10
私たちは手を洗って汚れやばい菌を落としますが、実は、それをしているのは「私たち」ではありません。厳密に言うと、それは「石鹸」であり「水」です。しかし手をきれいにしようとしたのは「私たち」であり、そのために「石鹸」や「水」は使われます。
日々励む
◆ エゼキエル書3-4
◆ ヘブル11:20-40
真理のみことばをまっすぐに説き明かす、恥じることのない働き人として、自分を神にささげるよう、努め励みなさい。―Ⅱテモテ2:15
国際的に評価の高いヴァイオリニストの五嶋みどりは、よい演奏をするためには毎日じっくり練習することが不可欠だと信じています。彼女は1年間に90回の演奏会という多忙なスケジュールのかたわら、毎日平均5、6時間は練習しています。ジェーン・アマソンはノースウエスト航空の機内誌に、彼女の言葉を書いています。「仕事のために練習しなければいけません。それも毎日。肝心なのは、時間の長さではなく、練習の質です。ヴァイオリンを弾けば練習したと思っている学生もいますが、彼らは聞いていないし、見ていません。教本を開いているだけで、勉強しているとは言えません。」
パンに勝るもの
◆ エレミヤ書51-52
◆ ヘブル9
あなたがたがわたしを捜しているのは、しるしを見たからではなく、パンを食べて満腹したからです。―ヨハネ6:26
アイザック・ペニントンは17世紀のクエーカー教徒のリーダーでした。彼は、「主は私に『私によって生きよ』と語られた。つまり、主から受けるものではなく、主のいのちによって生きるように、と教えられたのだ」と語りました。ヨハネ6章には、イエスによって生きていきたいと願った人々が登場しますが、その意味はかなり違っていました。この人たちは、イエスにではなく、イエスに期待する事柄に対して熱くなっていました。イエスが食物を与え、ローマ帝国の圧制からも解放してくれると期待していたのです。
無私の愛
◆ エレミヤ書50
◆ ヘブル8
彼[エパフロデト]は、キリストの仕事のために、いのちの危険を冒して死ぬばかりになったからです。―ピリピ2:30
イラクで服役中の19歳の兵士は、建物の屋上から手りゅう弾が落ちて来ることに気づきました。彼は装甲車の砲塔で機関銃を構えていたので、落下物を撃ってはねのけようとしましたがうまくいかず、爆弾は装甲車の中に落ちてしまいました。彼には脱出する時間がありました。しかし逆に、手りゅう弾に飛びついてその上に覆いかぶさったのです。この驚くべき捨身の行為で、4人の同僚兵士の生命が助かりました。2007年12月4日のことです。