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寄稿一覧 Ade Chandra

国民としての誇り

1年で聖書を!
◆ エゼキエル書11-13
◆ ヤコブ1
聖書のみことば Ⅰペテロ2:9-17

 
あなたがたは、選ばれた種族、……聖なる国民、……とされた民です。それは、あなたがたを、やみの中から、……招いてくださった方のすばらしいみわざを、あなたがたが宣べ伝えるためなのです。 ―Ⅰペテロ2:9

私たち夫婦は英国の人々、歴史、文化が大好きになりました。大のお気に入りは、由緒ある公園内で開かれる「プロムス」と呼ばれる野外コンサートです。「プロムスの最終夜」のイベントは、最高にすばらしいものです。花火が上がり、多くの国民が小さな英国旗をふって、愛国的な楽曲の演奏を盛り上げます。

不健康な食べ物

1年で聖書を!
◆ エゼキエル書8-10
◆ ヘブル13
聖書のみことばヘブル13:1-9

 
さまざまの異なった教えによって迷わされてはなりません。―ヘブル13:9

子どもの肥満という問題をかかえる国が、今までになく増えています。その主な原因は、正しい食習慣が損なわれていることと、スナック菓子の食べ過ぎです。スナック菓子というのは、ソフト・ドリンク、ポテトチップス、チョコレート、クッキーなどです。これらは、おいしいけれども栄養価が低く、高脂肪で高カロリーです。また、ファースト・フード店のほとんどの食べ物も同じように不健康です。

ノーと言ってイエスと言う

1年で聖書を!
◆ エゼキエル書5-7
◆ ヘブル12
聖書のみことば Ⅱテモテ2:20-22

 
義を行わない者はだれも、神から出た者ではありません。兄弟を愛さない者もそうです。―Ⅰヨハネ3:10

私たちは手を洗って汚れやばい菌を落としますが、実は、それをしているのは「私たち」ではありません。厳密に言うと、それは「石鹸」であり「水」です。しかし手をきれいにしようとしたのは「私たち」であり、そのために「石鹸」や「水」は使われます。

日々励む

1年で聖書を!
◆ エゼキエル書3-4
◆ ヘブル11:20-40
聖書のみことば Ⅱテモテ2:3-16

 
真理のみことばをまっすぐに説き明かす、恥じることのない働き人として、自分を神にささげるよう、努め励みなさい。―Ⅱテモテ2:15

国際的に評価の高いヴァイオリニストの五嶋みどりは、よい演奏をするためには毎日じっくり練習することが不可欠だと信じています。彼女は1年間に90回の演奏会という多忙なスケジュールのかたわら、毎日平均5、6時間は練習しています。ジェーン・アマソンはノースウエスト航空の機内誌に、彼女の言葉を書いています。「仕事のために練習しなければいけません。それも毎日。肝心なのは、時間の長さではなく、練習の質です。ヴァイオリンを弾けば練習したと思っている学生もいますが、彼らは聞いていないし、見ていません。教本を開いているだけで、勉強しているとは言えません。」

垣根を越える

1年で聖書を!
◆ エゼキエル書1-2
◆ ヘブル11:1-19
聖書のみことば マルコ2:13-17

 
イエスは、彼[レビ]の家で食卓に着かれた。取税人や罪人たちも大ぜい、イエスや弟子たちといっしょに食卓に着いていた。 ―マルコ2:15

イツのとある繁華街に駐車していた伝道バスに、悪さをしようと若者が近づいてきました。バスでは、宣教師たちがキリストを伝えるきっかけをつかもうと、飲み物とお菓子を出していました。そこに、どくろ模様のバンダナを着けたふたりが、ちょっかいを出そうとやって来たのです。

笑いごとでない

1年で聖書を!
◆ 哀歌3-5
◆ ヘブル10:19-39
聖書のみことば ピリピ1:12-20

 
キリスト・イエスにあって敬虔に生きようと願う者はみな、迫害を受けます。
―Ⅱテモテ3:12

ショッピングモールを妻と一緒に歩いていると、Tシャツを売る屋台がありました。ほとんどのTシャツには、ユーモアあるメッセージが書かれています。しかし、「クリスチャンがいっぱい、ライオンは少し」という困惑する文句のTシャツがあることにも気づきました。1世紀のローマ帝国では、コロシアムにクリスチャンとライオンを放り込んで見世物にしたのですが、これには少しも笑えませんでした。

価値がある

1年で聖書を!
◆ 哀歌1-2
◆ ヘブル10:1-18
聖書のみことば 詩篇139:1-16

 
私がひそかに造られ、……たとき、私の骨組みはあなたに隠れてはいませんでした。―詩篇139:15

昔、常連客が毎日出入りする店を舞台にした、テレビのホームコメディー番組がありました。自分を喜んで迎えてくれる場所、自分が名前で知られている場所、というコンセプトの番組でした。

パンに勝るもの

1年で聖書を!
◆ エレミヤ書51-52
◆ ヘブル9
聖書のみことば ヨハネ6:25-36

 
あなたがたがわたしを捜しているのは、しるしを見たからではなく、パンを食べて満腹したからです。―ヨハネ6:26

アイザック・ペニントンは17世紀のクエーカー教徒のリーダーでした。彼は、「主は私に『私によって生きよ』と語られた。つまり、主から受けるものではなく、主のいのちによって生きるように、と教えられたのだ」と語りました。ヨハネ6章には、イエスによって生きていきたいと願った人々が登場しますが、その意味はかなり違っていました。この人たちは、イエスにではなく、イエスに期待する事柄に対して熱くなっていました。イエスが食物を与え、ローマ帝国の圧制からも解放してくれると期待していたのです。

無私の愛

1年で聖書を!
◆ エレミヤ書50
◆ ヘブル8
聖書のみことば ピリピ2:20-30

 
彼[エパフロデト]は、キリストの仕事のために、いのちの危険を冒して死ぬばかりになったからです。―ピリピ2:30

イラクで服役中の19歳の兵士は、建物の屋上から手りゅう弾が落ちて来ることに気づきました。彼は装甲車の砲塔で機関銃を構えていたので、落下物を撃ってはねのけようとしましたがうまくいかず、爆弾は装甲車の中に落ちてしまいました。彼には脱出する時間がありました。しかし逆に、手りゅう弾に飛びついてその上に覆いかぶさったのです。この驚くべき捨身の行為で、4人の同僚兵士の生命が助かりました。2007年12月4日のことです。