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David C. McCasland

David C. McCasland

デービッド・マッカスランド氏は、1995年から「デイリーブレッド」の著者に加わりました。Discovery House Publishersから著書が出版されています。マッカスランド氏は、妻ルアンとともにコロラド州に住んでいます。二人には、4人の娘と6人の孫があります。

寄稿一覧 David C. McCasland

正直な疑い

そして、イエスにお会いしたとき、彼らは礼拝した。しかし、ある者は疑った。—マタイ28:17

自分の経験から、死んだ人は戻ってこないと分かっています。愛する人を亡くした悲しみの中心にあるものは、この世で二度と会えないという辛い現実です。私たちは葬式に参列して、亡くなった人を偲び、遺族と悲しみを共にします。帰り際に死んだ人が出口で見送ってくれるとは思いません。

それを思うと、イエスの弟子たちが、初めは疑ったのも無理はありません。イエスは死からよみがえられました。天使や空っぽの墓、そしてイエスご自身を見た(マタ28:1-10)という女たちの証言に続いて、十一人の弟子たちは、ガリラヤに行って、イエスの指示された山に登りました。聖書は、「そして、イエスにお会いしたとき、彼らは礼拝した。しかし、ある者は疑った」(16-17節)と記しています。

主の一番近くですばらしい教えを聞いたり、力強い奇跡を目の当たりにしたりした彼らでさえ、何人かはイエスのよみがえりを疑いました。しかし、その正直な疑いは、よみがえられた主、という現実をしっかりと受け止められたとき、すぐさま喜びと希望に変わりました。

私たちは、主に対して疑いを持っていないでしょうか。自分の経験から、過去の過ちや現在の葛藤、また将来の展望などは、変わらないと思い込んでいませんか。新しい気持ちでイースターを迎え、主に不可能なことはないと信じませんか。David McCasland

カルバリの丘に目を向けるなら疑いは消える。

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確かな土台

私の住む町には地滑りの危険が指摘されている場所がありますが、人々は長い間、そこに家を建てたり、それを買ったりしてきました。地盤の緩さを知っている人もいましたが、教えられていない人もいました。コロラド・スプリングスの「ザ・ガゼット」紙は、2016年4月27日付の記事で、地質学者の警告や市の安全基準が40年間説明されず無視されてきたと報じました。家からの眺めは素晴らしい地域です。しかし、その下では大惨事の準備が進行中でした。

正直な疑い

聖書のみことば:マタイ28

そして、イエスにお会いしたとき、彼らは礼拝した。しかし、ある者は疑った。—マタイ28:17

自分の経験から、死んだ人は戻ってこないと分かっています。愛する人を亡くした悲しみの中心にあるものは、この世で二度と会えないという辛い現実です。私たちは葬式に参列して、亡くなった人を偲び、遺族と悲しみを共にします。帰り際に死んだ人が出口で見送ってくれるとは思いません。

それを思うと、イエスの弟子たちが、初めは疑ったのも無理はありません。イエスは死からよみがえられました。天使や空っぽの墓、そしてイエスご自身を見た(マタ28:1-10)という女たちの証言に続いて、十一人の弟子たちは、ガリラヤに行って、イエスの指示された山に登りました。聖書は、「そして、イエスにお会いしたとき、彼らは礼拝した。しかし、ある者は疑った」(16-17節)と記しています。

主の一番近くですばらしい教えを聞いたり、力強い奇跡を目の当たりにしたりした彼らでさえ、何人かはイエスのよみがえりを疑いました。しかし、その正直な疑いは、よみがえられた主、という現実をしっかりと受け止められたとき、すぐさま喜びと希望に変わりました。

私たちは、主に対して疑いを持っていないでしょうか。自分の経験から、過去の過ちや現在の葛藤、また将来の展望などは、変わらないと思い込んでいませんか。新しい気持ちでイースターを迎え、主に不可能なことはないと信じませんか。

カルバリの丘に目を向けるなら疑いは消える。

間違ったプライド

偉業を成し遂げた人を現役でも「レジェンド」と呼ぶことがあります。プロ野球選手だった友人は「レジェンド」のように振舞う多くのスポーツ選手に会ったと語ります。高慢は自分を見失わせがちです。謙虚ならば、本当の自分が見えてきます。

対位法

聖書のみことば:Ⅰペテロ3:1-12

あなたがたはみな、心を一つにし、同情し合い、兄弟愛を示し、あわれみ深く、謙遜でありなさい。—Ⅰペテロ3:8

結婚生活についての話し合いで、「良い夫婦関係を築く鍵は、『ふたりがひとりになる』ことです」と言った人がいます。すると、別の人が言いました。「そのとおりです。でも、どちらに合わせるのですか。」自分が自分であることを犠牲にしなければ、夫婦がひとつになることはできないのでしょうか。

音楽用語の「対位法」を考えてみましょう。これは、ふたつ以上の独立した旋律がそれぞれの特徴を保持したまま、ひとつのハーモニーを形成するものです。バッハの「主よ人の望みの喜びよ」では、音階練習のように聞こえるピアノの旋律が、美しいメロディーのコントラストをなしています。このふたつは、各々の特色を失うことなく相まって、ひとつの曲になっています。

使徒パウロは、妻は夫に服従するように(Ⅰペテロ3:1)、夫は妻を理解し尊敬しなさい(7節)と説いた後で、「最後に申します。あなたがたはみな、心を一つにし、同情し合い、兄弟愛を示し、あわれみ深く、…報いず、かえって祝福を与えなさい。あなたがたは祝福を受け継ぐために召されたのだからです」(8-9節)と語りました。

ふたりがひとりになることは、愛と親切によってのみ可能です。自分本位に求めるばかりでは決してうまくいきません。神は、夫と妻のそれぞれを、結婚の神秘性の中でユニークな旋律にしてくださいます。ふたりが共に奏でると、神の壮大な調べの美しいハーモニーになります。

結婚生活からハーモニーが流れるためには、キリストと音合わせをしなさい。

子どものように

ずいぶん昔のことですが、就寝前の祈りの後、2歳の娘が「ママ、イエスさまはどこにいるの」と尋ねました。妻は驚いて「天国よ。それから、どこにでもよ。今ここにもおられるわ。お願いすれば、あなたの心の中にもいてくださるのよ」と言いました。「イエスさま、私の心にいて欲しい」と娘。「いつかお願いしましょうね」と妻が応じると、娘は「今、お願いしたい」と答え「イエスさま、私の心に来て、いっしょにいてください」と祈りました。それが彼女の信仰の始まりでした。

遅れの対処法

コンピューターシステムの不具合で、広い範囲で航空機が止まり空港で足止めされる。吹雪の中、何台もの車が絡む事故で高速道路が閉鎖になる。「すぐに返事する」と約束した人から返事がない。「遅れ」は時に、怒りやイライラを生みます。しかし、クリスチャンは神に助けを求めることができます。

調和を追い求める

私は1950年代、皮膚の色で学校、レストラン、公共交通、居住地が分けられている環境で育ち、人種差別や隔離政策に疑問を感じたことはありませんでした。しかし1968年、陸軍の訓練を受けたとき、その世界観が激変しました。部隊の若者たちは即、多様性を受け入れ、協力しなければ、国を守れないと気づいたのです。

ひとつの名前

クレオパトラ、ガリレオ、シェイクスピア、プレスリー、ペレ。この人たちは非常に有名で、名前だけでどういう人か分かります。しかし、それ以上の名前があります。