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Patricia Raybon

Patricia Raybon

パトリシア・レイボン氏は、デンバーポスト紙日曜版の元編集者、コロラド大学ボルダー校のジャーナリズム科元准教授です。現在は、神と人を愛するインスピレーションとなるような著書を手掛けています。彼女の目指すのは、恵みをもって信仰と人種問題に取り組むことです。みことばを愛し、世界各地の聖書翻訳プロジェクトにもかかわっています。数々の賞を受賞した著作には、"My First White Friend" "I Told the Mountain to Move"が含まれます。母であり妻であるレイボン氏は、夫ダンとコロラド州に暮らしています。レイボン氏の詳細は、patriciaraybon.comをご覧ください。(英語のみ)

寄稿一覧 Patricia Raybon

不屈のピザ

イブラヒムは12歳の時、西アフリカからイタリアに移住しました。イタリア語は一言も知らず、吃音(きつおん)に苦しみ、移民排斥のいやがらせも受けました。しかし、くじけずに頑張り、20代でピザ屋を開きました。トレント市のその店は、世界のピザ屋トップ50の一つになり、懐疑的な人々を納得させました。

キリスト、まことの光

夫は光の方に行こうと言いました。日曜日の午後、都会の大きな病院に入院している友人を見舞ったのですが、構内で迷子になりました。休日の病院に人影はありません。薄暗い廊下をウロウロしていると、やっと人に会いました。その人は途方に暮れている私たちに「廊下はどれも似ていますが、出口はこちらです」と教えてくれました。指示どおりに行くと出口が見つかり、やっと明るい場所に出られました。

全幅の信頼

ある冬の朝、ブラインドを開けて驚きました。霧の壁です。天気予報によると、それは「着氷性の霧」というものです。この地域ではまれですが、さらなる驚きは、1時間後には晴天という予報でした。私は夫に「あり得ない。一寸先も見えないのに」と言いました。しかし、1時間も経たないうちに霧は晴れ、澄んだ青空になりました。

思いやりを行動に

ジェームス・ウォレンは28歳の人材コンサルタントですが、ベンチを作っています。きっかけは地べたに座ってバスを待つ人を見て同情したからです。廃材でベンチを作りバス停に置くと、すぐに利用されました。地元の9千カ所のバス停の大半には座る場所がありません。そこで、もう少しベンチを作り、そこに「親切を実行しよう」と彫り込みました。「目標は?」と尋ねられると、「自分のできることで、人々の生活を少しでも良くしたい」と語りました。

神の永遠の教会

子ども連れの若い女性が来たのは礼拝の終了間際でした。「教会は終わりですか」ときかれたので、受付の人は、近くの教会の第2礼拝がもうすぐ始まると伝え、送りましょうと申し出ました。その女性は、とても感謝している様子でした。受付の人は後からこう思いました。「教会は終わったか。いや、決して終わらない。神の教会は永遠に続く」と。

粘り強く祈る

お針子のアン・ロウは、1917年、有名な服飾デザイナー学校に合格し、フロリダから意気揚々とニューヨークにやって来ました。ところが、黒人とは知らなかったと言われ、追い返されそうになりました。しかし、アンは「神よ、ここにいられますように」と祈って踏ん張りました。根負けした校長は入学を許可しましたが、人種分離政策のためにアンは教室には入れず、廊下で授業を聞きました。

深い水

アフリカ系アメリカ人のビル・ピンクニーが、1992年、南半球の南端岬を巡る困難なルートで単独世界一周航海を敢行した背景には、子どもたちを励まし、教育するという高貴な目的がありました。その中にはシカゴのスラム街にある彼の出身校の児童たちもいました。彼は、やり遂げると決意し一生懸命勉強するなら、必ず何かを成し遂げられることを見せようとしたのです。船の名は決意を表す「コミットメント」でした。彼は子どもたちをコミットメント号に乗せて海に出ます。子どもたちは、かじを握ることで、ボートの制御や自制、チームワークなど、人生で成功するために必要な基本的なことを学ぶといいます。

新生させてくださる神

ショーン・セイプラーは出張で宿泊したホテルで妙なことが気になりました。使い残したせっけんはどうなるのだろう。ゴミとして埋められる以外の使い道があるはずだと。彼はリサイクルのベンチャー企業を立ち上げ、8千軒以上のホテルやクルーズ船、リゾート施設と協力し、膨大な量の廃棄せっけんを滅菌し、再生して、100カ国以上の貧困層に届けています。それらは、不衛生に起因する病気の予防に貢献しています。セイプラー氏は語ります。「面白いでしょう?あなたが使い残したホテルの小さなせっけんが、文字通り、人命を救うのです」

小さいけれども偉大

ある大学の水泳選手はオリンピックを目指していましたが、タイムが上がらなくて不安でした。しかし、数学の教授、ケン・オノが彼女の泳ぎを観察して、タイムを6秒縮める方法を考えました。6秒とはオリンピックを目指すレベルでは相当な違いです。彼は選手の背中にセンサーをつけましたが、彼女の泳ぎを大きく変えるのではなく、小さな矯正をすれば、より効率的な水中の動作が可能になると明らかにしました。