寄稿者

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Winn Collier

Winn Collier

ウィン・コリエ氏は、ミシガン州ホランドに家族と住んでいます。 25年間牧師として神に仕えています。ウェスタン神学大学院の教師、ユージン・ピーターソン・クリスチャン・イマジネーション・センターのディレクターも務めています。友人との時間を大切にし、フェアトレードのコーヒー、良質な映画と本、山、問答、森林散策などが好きです。体裁を気にすること、恐れ、不正などは嫌いだと言います。お気に入りのカフェが近所にないことも嫌なことに挙げられると言います。雑誌の寄稿者でもあり、5つの著書(Restless Faith, Let God: The Transforming Wisdom of François Fénelon, Holy Curiosity, the epistolary novel Love Big, Be Well, and A Burning in My Bones: The Authorized Biography of Eugene Peterson.)があります。

寄稿一覧 Winn Collier

自分らしさとは?

ジョシュア・エイブラハム・ノートンは、1859年、自分は米国の皇帝だと宣言しました。高貴な身分を求めてサンフランシスコの夕刊紙に「ノートン皇帝」の布告を掲載すると、大半の人が笑いました。一方、彼は社会問題に取り組み、独自の通貨を発行し、英国のビクトリア女王に求婚し、両国を併合しようと手紙を送りました。皇帝風にあつらえた軍服を着ていて、どこから見ても国王に見えたそうですが、もちろん違います。誰も自分の身分を仕立てることはできないからです。

イエスにとどまる

ジュノという保護猫をもらいました。大人の黒猫です。正直なところ、私はネズミを退治したかっただけでしたが、家族はペットが欲しかったのです。保護施設の担当者は、最初の週は必ず同じ時間に餌をあげるように指導しました。ここが自分の家であり、必ず餌をもらえる安全な場所だと学ばせるためです。そうすれば、仮に徘徊(はいかい)しても、必ず帰って来るからです。

神はあなたを知っている

最近、ミケランジェロの彫刻『モーセ』の大写しの写真を見ました。すると、モーセの右腕に小さく盛り上がった筋肉が見えます。この筋肉は小指伸筋で、小指を上げるときだけに収縮します。巨匠ミケランジェロは写実性で知られています。人間の体に細心の注意を払い、誰もが見逃してしまうような細かい部分を含めて彫刻します。

涙の中の祝福

英国在住の若い男性から米国の私にメールが来ました。彼の63歳の父親が病院で生死の淵をさまよっていると言います。私は、この2人と面識はないのですが、父親の方とは仕事の関係で頻繁なやり取りがありました。息子は、父に励ましと祈りのビデオメッセージを送ってもらいたいと依頼してきました。私は感動して、短いあいさつと癒やされるように祈る動画を作りました。父親はその動画を見て、心から喜んだそうです。しかし、残念なことに、数日後、彼の訃報が届きました。妻の手を握ったまま、息を引き取ったそうです。

燃えるような愛

詩人、画家、銅版画職人のウィリアム・ブレイク(1757-1827年)は、45年間の幸せな結婚生活を送りました。彼と妻のキャサリンは、結婚式の日から彼の亡くなる1827年まで、夫婦で支え合って創作活動をしました。キャサリンはウィリアムのスケッチに彩色を施し、互いに対する献身で、長年の貧乏生活や他の試練を乗り越えました。病の床にあった最期の数週間でさえ、彼は絵を描き続け、最後のスケッチは妻の顔でした。キャサリンは、その4年後、夫の鉛筆を握りしめて亡くなりました。

力強く駆け抜ける

インドの最高齢のスポーツ選手、103歳のマン・カウアーは、2019年にポーランドで開かれた世界マスターズ陸上競技選手権大会の4種目で金メダルを獲得しました。そればかりか、短距離走で自己記録を更新したのです。カウアーは人生を力強く駆け抜ける姿を見せてくれました。

未来は神に委ねる

ラズロ・ヘニエイツは、2010年、仮想通貨のビットコインで初めて買い物をしました。ピザ2枚(2,000円相当)を買って1万ビットコインを支払いました。これを2021年のビットコインの最高値で換算すると500億円になります。ラズロはビットコインの価格が急騰する以前、これでピザを買い続け、総額10万ビットコインを支払っています。もし全てを貯めていれば60兆円を超える財産となって、フォーブズ誌の長者番付に名を連ねていたでしょう。未来を予知できていたなら……。

明るい未来を作る

カンザス州の小さな町ネオデシャの高校で、生徒300人が驚く話を聞きました。町とつながりがある夫婦が、この先25年間、ネオデシャ出身の大学生の学費を払ってくれるというのです。彼らは驚がくし、大喜びで、涙ぐむ者もいました。

恨みでなくあわれみを

アメリカ同時多発テロ事件が2001年9月11日に起こり、グレッグ・ロドリゲスは世界貿易センタービルで亡くなりました。両親は悲嘆に暮れながらも、自分たちの対応を慎重に考えました。2002年、母のフィリスはテロの協力者とされる人物の母親、アイチャと面会しました。 「私は彼女に近づいて両手を広げました。私たちは抱き合って泣きました……心は瞬時に触れ合いました……共に息子のことで苦しんできたのです」とフィリスは語ります。