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ばあ!

赤ん坊の親はよく、「いないいない、ばあ!」をして我が子と遊びます。パパは両手で顔をおおうと、「ばあ!」と言う声とともに突然顔を出して、子どもを驚かせます。すると子どもは、この「恐ろしさ」を面白がってケラケラと笑います。

恐れのある所に

結婚して12年が経っても私たち夫婦には子どもが与えられず、妻と私は、希望と失望を繰り返す激しい感情の波にもまれていました。友だちの中には、「君が良い父親になれないと、神は知っておられるのかもしれないよ」と、神の思い(?)を説明した人もいました。この友人は、私の母が非常に気性の荒い人だったのを知っていたからです。

恐れ知らずのチャンピオン

子どものとき、眠ることは大変な仕事でした。親が部屋の灯りを消して出ていった途端、イスの上にしわくちゃのまま脱ぎ捨てた洋服は、口から火を吹く竜の形になります。ベッドの下にも何かがいるような気がしてドキドキしました。そんなこんなで、怖くて眠れなかったのです。

苦難のときにも動じない

父親の自慢をする子どもがいます。近所の子どもたちの会話に耳を傾けてみると、「〇〇くんのパパより、ぼくのパパの方が大きい!」とか、「〇〇ちゃんのパパより、あたしのパパの方がえらい!」とか言い合っています。そんな中でも一番の自慢は、「ぼくのパパのほうが、〇〇くんのパパより強い!」です。これは大抵の場合、けんかに負けそうな子が相手に対して発する警告です。いいかげんにしないと、ぼくの父さんがやって来てぎゃふんと言わせるぞ、そのときは君の父親も一緒だからな、というわけです。

恐れを覚えるとき

長男が生まれたときは大変な難産で、30時間以上もかかりました。その日の医師は妻の担当医ではなく、代理の医師だったので、妊娠中の経過をよく知りませんでした。その結果、緊急帝王切開を行う決断をするまでに時間がかかりすぎました。息子は大変な状況を経て深刻な状態で生まれてきたので、すぐに新生児集中治療室に入れられました。ところが、この小さな命が難産によって引き起こされた深刻な症状を乗り越えていくために、医師ができることは何もなかったのです。しかし、神のあわれみにより、息子は回復していきました。

あれほどの恐怖を味わったことは、後にも先にもありません。私は、集中治療室のベビーベッドのかたわらで凍りついていました。しかし、祈り心で神に語りかけるなら、神がそばにいてくださるという確信がありました。

人生で恐れを覚えるとき(そのほかのどんな時にでも)、神のご臨在を実感し、神が心配していてくださると分かるならば、痛んでいる心に大きな慰めが与えられます。詩篇の作者であるダビデは、「たとい、死の陰の谷を歩くことがあっても、私はわざわいを恐れません。あなたが私とともにおられますから。あなたのむちとあなたの杖、それが私の慰めです」と賛美しました(詩23:4)。

恐れに圧倒されるときでも、神はそばにおられます。神のなぐさめは、試練の谷を抜けるまでずっと一緒に歩んでくださいます。

恐れが忍び寄るとき

娘が「ママ、虫!」と叫んだので、娘の指差す方を見ると、ペットショップ以外では見たこともないほど大きなクモがいました。私はもちろんですが、クモもこの家にいてはいけないと悟ったようでした。張り詰めた空気の中でクモと向かい合ったまま、私は身動きひとつできませんでした。脈が速くなるのを感じ、息を呑んで、大丈夫だと自分に言い聞かせました。それでも恐怖で凍りついたように、じっとしていました。

恐れに直面して

子どもの頃、寝室の灯りを消すのが嫌でした。椅子にかけた服がお化けのように見えて、とても怖かったことを覚えています。私は恐怖で眠れませんでした。この幼い日の経験から、人生に問題が起こったとき、恐怖は私の味方ではないと学びました。恐れは、前に踏み出す力を奪います。萎縮してしまい、すべきことができなくなります。イエス・キリストを見つめ続けていなければ、そうなってしまいます。

恐れるな

1年で聖書を!
◆ ヨブ記28-31
聖書のみことば イザヤ書43:1-4
 
恐れるな。わたしがあなたを贖ったのだ。わたしはあなたの名を呼んだ。あなたはわたしのもの。―イザヤ書43:1

ふたり目の子どもを妊娠中の妻の具合がとても悪くなりました。医者はなかなか原因を突き止められず、妻の容態はどんどん悪化して、危険なまでになりました。

恐れに対する解決法

1年で聖書を!
◆ 申命記13-16
聖書のみことば 詩篇34:1-10
 
私が主を求めると、主は答えて下さった。私をすべての恐怖から救い出してくださった。―詩篇34:4

アメリカ合衆国の大統領に初めて選ばれた1933年の就任演説で、フランクリン・ルーズベルトは、大恐慌に動揺していた国民に語りかけました。経済危機に負けない楽観的な見方を盛り立てようと「我々が唯一恐れなくてはいけないのは、恐れそのものだ」と述べたのです。