全てを変える
イェール大学で長年教鞭をとったヤロスラフ・ペリカン教授は、キリスト教史の権威と言われ、30冊以上の本を出版し、名誉あるクルーゲ賞を受賞しました。しかし、ある学生は、恩師の業績より、その臨終の言葉に最も感銘を受けたそうです。「もし、キリストがよみがえられたなら、他のことはどうでもよい。そして、もしキリストがよみがえられなかったなら……他のことは、どうでもよく空しい」。彼の言葉は使徒パウロの信念と同じです。「キリストがよみがえらなかったとしたら、私たちの宣教は空しく、あなたがたの信仰も空しいものとなります」(Ⅰコリ15:14)。
死さえも
早世した友を惜しんで悲嘆に暮れる人がいました。死は、昔も今も、全ての人を打ちのめします。どんなに悲しんでも時間は戻せません。
平和の十字架
オランダ人現代画家のエグバート・モダーマンの作品「クレネ人のシモン」に感動しました。シモンの沈痛な表情は、彼が肉体的にも精神的にも大きな重荷を背負っていることを表しています。マルコの福音書の15章によると、北アフリカの都市クレネ出身のシモンは、無理やりに十字架を担がされました。
時は夜であった
エリ・ヴィーゼルの小説『夜』は、ナチスの死の収容所の体験に基づいています。物語の順序は出エジプト記の逆です。神の民は、過越の祭りの後、モーセに率いられて奴隷から解放されました (出12章)。一方、ナチスは過越の祭りの直後にユダヤ人の指導者たちを逮捕しました。
愛に支えられて
膝の上に乗った4歳の孫が、私のはげ頭を触りながらまじまじと見つめています。「じいちゃんの髪はどうなったの?」私が「だんだん無くなったんだよ」と笑って答えると、彼は神妙に「それは困ったね。僕の髪をちょっとあげなくちゃ」と言いました。私は、孫の優しさに笑顔で応じながら、彼をぎゅっと抱き寄せました。後日、このやり取りを思い出しました。そして、神の惜しみない犠牲的な愛について考えました。
私たちと同じように
息子が服を脱いで泳ぎたがらないのは、生まれたときからある、胸や腹部、左腕のあざを気にしているからと知り、デレクは自分の身体に息子のあざと同じ模様のタトゥーを長時間の痛みに耐えて入れました。
時を大切に
ノース・カロライナ大学の古文書館が所蔵する懐中時計の針は、 8時19分56秒で止まっています。それは、持ち主のエリシャ・ミッチェル教授が、1857年6月27日の朝、アパラチア山脈で滝に滑落して亡くなった時刻でした。当時、ミッチェル氏は、現場付近の山がミシシッピ川の東側で最高峰であると証明するために、データの収集をしていました。後にそこは彼の名にちなんでミッチェル山と名付けられ、滑落現場近くの山頂に彼の墓があります。
ろばに乗った王
それは、イエスにとって初めてのエルサレムではありませんでした。イエスは敬虔なユダヤ人でしたから、年3度の祭りには、エルサレムに行かれました(ルカ2:41-42、ヨハ2:13、5:1)。また、直近の3年間、そこで人を教えたり、癒やしたりされました。しかし、今日、しゅろの日曜日と呼ばれるこの日のエルサレム入城は、全く違っていました。
おしゃべりバス
オックスフォードバス会社が2019年「おしゃべりバス」を運航すると、即座に大当たりしました。そのバスには、おしゃべりをしたい人と進んで会話する相手が、会社の計らいですでに乗り込んでいます。イギリス政府の調査によると、国民の30パーセントは、誰とも会話という会話をせずに過ごす日が週1日はあるそうです。このバスは、そういう調査結果を受けて始まりました。