心のチェック
通勤電車には、「隣の席の知らない人には話しかけない」など、暗黙のルールがあります。シカゴに通勤していた頃、このルールに従うのは本当に大変でした。私は新しい人と話をすることが大好きなのです。しかし、そんなルールに従いながらも、その人の読んでいる新聞のページをちらりと見れば、その人のことが推察できると思います。経済、スポーツ、政治、コラム…。彼が最初に開くページは何でしょう。それによって、どの分野に興味があるか分かります。
すべてにまさるイエス
ある日、友人の息子は、制服の上にあるチームのジャージを着ていくことにしました。そのチームの大切な試合が夜にあるので、応援する気持ちを表そうとしたのです。そして家を出るとき、一番上に身に着けたのは、「イエス」と書かれたペンダントでした。この何気ない行動は、深い真理を示しています。つまり、キリストは私たちの生活の中で、一番を占めるということです。
働く態度
学生のころ、友人といっしょに家具店でアルバイトをしていました。私たちは家具の配達に行き、同伴のインテリアコーディネーターがお客さんと話をしている間に商品を運び込みました。時には、家具をかついでアパートの階段を上がらなければなりません。私たちはよく、自分たちの仕事がインテリアコーディネーターだったら良いのにと思ったものでした。
メイン・イベント
地元のお祭りで花火大会がありました。ところが、メインの打ち上げ花火の他に、小さな花火が左右でときどき上がります。それはそれで美しいのですが、気が散って、肝心の大きな花火に集中できないこともありました。
主な関心ごと
周囲からのプレッシャーは日常茶飯です。出る釘にならないようにという理由で、神が喜ばれないことを選択したり、信念を曲げてしまうこともあります。いじめられたり、疎外感を感じるのがイヤだからです。
日々の雑用
私が通った中高一貫校では、ラテン語が4年間必須でした。私たちの先生は反復練習を重視していて、一日に何度も「繰り返しは学習の母」と生徒たちに唱和させました。一方、私たちは「繰り返しは馬鹿げている」とこっそりつぶやいたものです。
焦点を当てるもの
テキサス州中部の町で、2011年9月初旬、大規模な山火事が発生して600戸の家屋が焼失しました。その数週間後、オースティン・アメリカン・ステイツマン紙は「何もかも失った被害者が、失われなかったものを語る」という見出しの記事を掲載しました。その内容は、近隣住民からの多大な支援について、また、助けてくれる友人や地域の人たちの存在に気づけたことが、失ったもの以上に大きいと被害者たちが語っているというものでした。
一刻一刻が大切
友人のボブ・ボードマンは59歳のとき、「元気に過ごせる年齢を70歳までとして、人の一生を24時間ある一日に当てはめるとするなら、今の私は夜の8時半にいることになる。人生はまたたく間だ」と書きました。
逆さま
イエスには、「不思議だなあ」と思わされることがいくつもあります。イエスの働きに驚かされたり、当惑させられたりします。それは、イエスの人生に対する教えが、世の常識とは真逆の場合があるからです。
人生の旅が長くなると、大体のことは分かっていると思うようになります。そして、人生の舵取りや物事に対する応答がパターン化してしまいがちです。しかし、イエスは私たちの平凡な日常生活に介入され、新しくてより良い道に導こうと声をかけてくださいます。でも、ご注意ください。「イエスならばこうなさる」という方法は、私たちに大きなチャレンジを与えます。
いのちを得るために死ぬ(マコ8:35)、得るには与えよ(マタ19:21)、悲しむ人は幸いだ(5:4)、治めるには仕えよ(ルカ22:26)、苦しみには目的がある(5:10-11)という逆説的なことばについて考えてください。キリストはおかしい、ずれている、と思われるのは、こうした発言があるからです。しかし、ずれているのは、実は私たちです。キリストが逆さまなのではなく、私たちがそうなのです。私たちは、何がベストかは親より自分のほうが分かっている、と思っている子どもに似ています。
神が私たちに「わたしの思いは、あなたがたの思いと異なり、わたしの道は、あなたがたの道と異なるからだ」と言われました(イザ55:8)。ですから、私たちの直感は頼りになりません。神の方法に倣えるよう助けてください、と祈りましょう。