Category  |  イエスのために生きる

羊のようだ

ガーナ北部で祖父と一緒に生活していたとき、私に与えられた家の手伝いは、羊の世話でした。毎朝、羊を牧場へ連れ出し、夕方には戻します。このとき初めて、羊の強情さを知りました。例えば、畑を見ると必ず入って行こうとするので、私は幾度となく農家の人たちに叱られました。また、暑さと疲れで木陰で休んでいると、羊たちは散り散りに繁みに入って、丘に向かって行きます。後を追いかけると、足が引っかき傷だらけになりました。羊が危険な目に遭わないようにするのは、本当に大変でした。羊泥棒が、さまよう羊を狙って襲うようなときは特にそうです。

神の目にかなうことを行う

イギリスでは、家の建築や改築で手抜き工事をする業者たちを指して「カウボーイ・ビルダー」と呼んだりしますが、その言葉は実際、苦い経験をさせられた人が、恐れや後悔の気持ちとともに使うことが多いようです。

心のチェック

通勤電車には、「隣の席の知らない人には話しかけない」など、暗黙のルールがあります。シカゴに通勤していた頃、このルールに従うのは本当に大変でした。私は新しい人と話をすることが大好きなのです。しかし、そんなルールに従いながらも、その人の読んでいる新聞のページをちらりと見れば、その人のことが推察できると思います。経済、スポーツ、政治、コラム…。彼が最初に開くページは何でしょう。それによって、どの分野に興味があるか分かります。

すべてにまさるイエス

ある日、友人の息子は、制服の上にあるチームのジャージを着ていくことにしました。そのチームの大切な試合が夜にあるので、応援する気持ちを表そうとしたのです。そして家を出るとき、一番上に身に着けたのは、「イエス」と書かれたペンダントでした。この何気ない行動は、深い真理を示しています。つまり、キリストは私たちの生活の中で、一番を占めるということです。

働く態度

学生のころ、友人といっしょに家具店でアルバイトをしていました。私たちは家具の配達に行き、同伴のインテリアコーディネーターがお客さんと話をしている間に商品を運び込みました。時には、家具をかついでアパートの階段を上がらなければなりません。私たちはよく、自分たちの仕事がインテリアコーディネーターだったら良いのにと思ったものでした。

メイン・イベント

地元のお祭りで花火大会がありました。ところが、メインの打ち上げ花火の他に、小さな花火が左右でときどき上がります。それはそれで美しいのですが、気が散って、肝心の大きな花火に集中できないこともありました。

主な関心ごと

周囲からのプレッシャーは日常茶飯です。出る釘にならないようにという理由で、神が喜ばれないことを選択したり、信念を曲げてしまうこともあります。いじめられたり、疎外感を感じるのがイヤだからです。

日々の雑用

私が通った中高一貫校では、ラテン語が4年間必須でした。私たちの先生は反復練習を重視していて、一日に何度も「繰り返しは学習の母」と生徒たちに唱和させました。一方、私たちは「繰り返しは馬鹿げている」とこっそりつぶやいたものです。

焦点を当てるもの

テキサス州中部の町で、2011年9月初旬、大規模な山火事が発生して600戸の家屋が焼失しました。その数週間後、オースティン・アメリカン・ステイツマン紙は「何もかも失った被害者が、失われなかったものを語る」という見出しの記事を掲載しました。その内容は、近隣住民からの多大な支援について、また、助けてくれる友人や地域の人たちの存在に気づけたことが、失ったもの以上に大きいと被害者たちが語っているというものでした。