けんか腰になる
◆ ホセア書9-11
◆ 黙示録3
―ローマ12:18
先日の出張で「よく飛行機に乗られますか」と客室乗務員に聞かれました。はい、と答えると彼は「ここ数ヶ月、乗客の皆さんがけんか腰で攻撃的になってきたと思いませんか」と尋ねます。私は、同感だと言わざるを得ませんでした。空港の警備強化、コスト高にサービス低下、そして旅に対する全般的な不満などが原因ではないか、という話になりました。それを証明するかのように、ひとりの乗客が、私たちの会話をさえぎりました。自分の席が気に入らないので、席を替えてくれるまで座らないと言い張ったのです。
平和
◆ エゼキエル書47-48
◆ Ⅰヨハネ3
平和はアダムとエバの時代に失われました。禁断の木の実を食べて自分たちが裸であることに気づくやいなや、ふたりは互いに相手を責め始め(創3:12-13)、神の平和な星に対立を持ち込みました。このふたりの末裔(私たちも含まれる)は悲しいことに、祖先の悪い模範に倣っています。私たちは自分が間違ったときでも他人のせいにする一方で、誰かが失敗したときには、責任をたらい回しにすることに腹を立てるのです。自分の不幸を他人のせいにするなら、家族や教会、地域社会や国家を分裂させます。私たちは平和を作ることができません。誰に責任を負わせようかと、犯人捜しに夢中になるからです。
アドベントのテーマ
◆ エゼキエル書40-41
◆ Ⅱペテロ3
聖書の書巻はすべてつながっており、関係性を持っています。私は以前からそのことを信じていましたが、それでも、先月読んだペテロの手紙第一が、アドベントの4つのテーマすべてに触れていることに気づいたときは、今さらながら驚きました。アドベントは、キリストの再臨を意識しつつ、キリストの降誕を祝う準備をする期間です。神がキリストと共にくださった希望、平和、喜び、愛を強調する時です。
危機の中の平安
◆ エレミヤ書34-36
◆ ヘブル2
教会の役員をしているテッドが、警察官として働いていた頃のことです。ある日、通報を受けて急行すると、自分の生命が脅かされるような事態に直面しました。人を刺した男が、その刃物をテッドに向けたので、仲間の警官は拳銃を発砲しました。犯人は取り押さえられましたが、流れ弾がテッドに当たったのです。テッドは救急車で病院へ運ばれました。そのとき、聖霊による深い平安が、波のように打ち寄せてくるのを感じました。彼の心は本当に平静で、あわてている同僚に落ち着くように言ったほどでした。
共通の基準
◆ ゼカリヤ書9-12
◆ 黙示録20
正しいおきてと定めとを持っている偉大な国民が、いったい、どこにあるだろう。―申命記4:8
インターネットが世に出始めたばかりのころ、ウェブの開発者たちは個々にルールを決めていました。その結果、ネットの世界は混乱していました。あるコンピュータ上ではきちんと読めるものが、別のコンピュータでは判読できないということが起こりました。開発者たちは、インターネットのことを「ワイルド・ワイルド・ウェブ」と呼びました。昔のアメリカ西部には秩序がほとんど存在せず、「ワイルド・ワイルド・ウェスト」と呼ばれていたので、それをもじって名づけたのです。このような状態を是正するために、ウェブ開発者たちは共通の基準を設けて、それに従うようにみんなに呼びかけました。
地に平和とは?
◆ ハバクク書1-3
◆ 黙示録15
わたしは、あなたがたに平安を残します。わたしは、あなたがたにわたしの平安を与えます。わたしがあなたがたに与えるのは、世が与えるのとは違います。―ヨハネ14:27
天の軍勢を挑発するつもりはありませんが、ベツレヘムの外で羊の番をしていた羊飼いたちに約束した平和はどうなったのだろうと、正直のところよく思います。過去2千年間、世界が平和だったことはほとんどありません。戦争は多くの人々の生命を相も変わらず奪っていますし、家庭内での惨事が後を絶たず、離婚率は高くなる一方で、教会も一致できません。私たちのわがままでいらいらした心にとって、平和は幻想的な夢のようです。あの約束された平和はどこにいったのでしょう。